年表 - 大正
大正編。できごとやキャラの動きは少しずつ追記していきます。
▼年号(西暦) | ▼月 | ▼できごと | ▼キャラの動き | ▼補足 |
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大正元年 (1912年) |
11月 | 海軍、日本最初の水上飛行 | 11月5日午後4時20分、30メートル上空を約15分飛び、無事に着水。また12日の観艦式でも御召艦筑波の近くを飛び、全艦列の上空を通過するなど、初の御前飛行を行った。 | |
陸軍増師問題陸軍は政府に2個師団の新設を要求、否決される | 増師を否決されたので、12月陸軍大臣が辞職。これにより内閣が総辞職をする。 | |||
大正2年 (1913年) |
6月 | 軍部大臣現役武官制廃止陸軍大臣・海軍大臣を現役の武官のみしか選出できないという制度が廃止される | ||
大正3年 (1914年) |
1月 | シーメンス事件海軍の汚職事件。海軍高官が軍艦や軍用品発注時に賄賂を受け取った事が明るみになった | 元々シーメンス社(ドイツ)の元日本駐在員が会社の秘密書類を盗んだ事からはじまり、その後法廷にてシーメンス社が日本の海軍高官に賄賂を送っていた事が発覚。更に余罪の追及が行われ、新たにヴィッカース社(イギリス)、アームストロング社(イギリス)、三井物産からも賄賂を受け取っていた事が判明。これにより当時海軍出身の山本総理は辞職する事になる。 因みに…、戦艦金剛はヴィッカース社で建造されたが、この時も海軍高官がヴィッカース社より賄賂を受け取っている…。 | |
6月 | サラエボ事件オーストリア皇太子が暗殺される。これをきっかけに第一次世界大戦がはじまる | 【第一次世界大戦について簡単に…】第一次世界大戦はイギリス・フランス・ロシアを中心とした連合国とドイツを中心とした同盟国との戦い。というかだいたい連合国によるドイツ包囲網。ドイツは東にロシア(東部戦線)、西はフランス(西部戦線)と二面作戦で戦う事になる。その後ロシアで革命が起き、ロシアが戦線を離脱するも、ドイツの「無制限潜水艦作戦」(無警告で軍の船だけでなく商船をも攻撃する)によりアメリカが被害を受け参戦。最終的にドイツでも革命が起こり、ドイツが降伏する。ドイツと連合軍との休戦協定が1918年の11月に調印。 日本にとっては遠いヨーロッパの争いという感覚があったが、イギリスと同盟を結んでいたので参戦。アジアにおけるドイツの権益を奪取している。 | ||
8月 | 日本、ドイツに宣戦布告ドイツが中立国に攻め込んだ事により、イギリスが参戦。イギリスは同盟国日本に協力を要請。日本はこの機を好機と捉え参戦を決定する | |||
11月 | 青島攻略7日に青島のドイツ兵が降伏。これにより山東省のドイツ権益を接収する事に成功。また、ドイツの東洋艦隊も撃破。ドイツ領だった南洋諸島(南洋群島)も獲得。 | 陸海航空の初陣 | ||
12月 | 東京駅開業 | 開業式は青島攻略司令官の凱旋日であり、司令官は東京駅に列車で到着。文武百官が参列し多くの人が出迎えた。 | ||
大正4年 (1915年) |
1月 | 日本、中華民国大統領袁世凱に「二十一か条の要求」山東省や南満州の権益をはじめ、かなり日本が強気の内容を提出 | ||
5月 | 日華条約「二十一か条の要求」一部修正の後に受諾させる | |||
11月 | 大正天皇即位式 | |||
12月 | 陸軍、航空大隊を新設 | |||
大正5年 (1916年) |
4月 | 横須賀に海軍航空隊を設置海軍航空兵力の基礎 | ||
大正6年 (1917年) |
1月 | 第二特務艦隊連合国の商船警護を目的とする、地中海に到着 | イギリスの要請で派遣。第一次世界大戦は主にヨーロッパの戦いなので、日本としては協力は小規模。しかし地中海に派遣された第二特務艦隊の働きは素晴らしく連合軍から賞賛される。 | |
11月 | ロシア革命(十月革命/十一月革命)世界で最初の社会主義政権が誕生 | 世界に激震。社会主義思想が自国に飛び火するのを恐れる。社会主義国家が隣接する事になった日本政府は危機感を持つ。 | ||
11月 | 石井・ライシング協定中国の「特殊利益」(特権的な地位で生じた政治や経済の利益)についての協定。日米で共同宣言。アメリカが日本の中国での権益を認め、また門戸開放等アメリカの中国進出も認めるような内容 | |||
大正7年 (1918年) |
8月 | シベリア出兵ロシア革命に対する干渉戦争。社会主義者による政権が誕生したロシアに対して諸外国はそれ認めず倒そうとした | 日本の動員した兵力は連合国の中でも最多の7万3千。(次点アメリカの8千弱、カナダ4千強、イタリア2千五百弱と続く…。英仏の戦力は第一次世界大戦の対ドイツで手一杯でそれ以下)。パルチザン(非正規軍)によるゲリラ戦に苦戦する。 | |
大正8年 (1919年) |
1月 | 陸軍がフランス航空教育団フォール大佐以下(最大)63名の教官団を迎え、翌9年8月まで教育を迎える | 教育内容【航空機材検査(砲兵工廠)、操縦術(各務原)、射撃観測・空中写真・無線電信通信(下志津)、気球操法・気球偵察・観測術(所沢)、飛行機機体制作(所沢)、発動機制作技術(名古屋熱田)、射撃術(浜名湖岸大正浜)、爆撃術(三方原)、航空現地戦術(東京及び埼玉)】中でも操縦術教育は華やかだったそう。また海軍もついで教えてもらう。 | |
4月 | 陸軍航空部設立 | 陸軍航空部設立設立ど同時に交通兵団司令部は廃止 | ||
6月 | ヴェルサイユ条約第一次世界大戦終結のため、連合国側とドイツとの間で調印された講和条約 | |||
大正9年 (1920年) |
5月 | メーデー | ||
大正10年 (1921年) |
4月 | 海軍がイギリス空軍から教育団センピル教育団を迎える | 霞ヶ浦に臨時海軍航空術講習部が開設し、一年半講習を受ける | |
12月 | ワシントン会議において四カ国条約日本、アメリカ、イギリス、フランスの間の条約。四カ国が極東に保有するそれぞれの領土を尊重するという内容を締結 | この条約の発効と同時に日英同盟が消滅 | ||
大正11年 (1922年) |
2月 | ワシントン会議において海軍軍備制限条約海軍軍縮条約を締結 | ||
10月 | ウラジオストックから撤兵 | |||
大正12年 (1923年) |
9月 | 関東大震災 | 陸海軍共に災害派遣 | |
大正13年 (1924年) |
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大正14年 (1925年) |
1月 | 日ソ基本条約日本とソ連の間で結ばれた国交樹立のための条約 | ||
4月 | 宇垣軍備整理宇垣軍縮。軍縮と、技術革新に伴う近代化 | 四個師団を含む部隊や施設、軍馬などの削減が行われる。同時に第一戦車隊、高射砲第一連隊、飛行第七、第八連隊、台湾山砲兵連隊などを新設し、軍の近代化を図る | ||
陸軍現役将校学校配属令公布官公立の師範学校、中学校、高等学校、専門学校などに陸軍現役将校を配属し軍事教練を行うというもの | 軍事教育の強化と軍縮によって整理される現役将校を失業させず温存 | |||
5月 | 航空兵科を創設し、陸軍航空部を陸軍航空本部に改称 | 飛行独立!航空兵科へ | ||
大正15年 (1926年) |
12月 | 大正天皇崩御 |
細かい出来事はいっぱいあるんですが、全部書くとよくわからなくなるので抜粋して書いてます。
第一次世界大戦により、特需が生まれバブルに。またその影で貧富の差が生まれる。