夜明け前、君とともに。
こちらはしゃちがはじめて書いた小説です!内容は戦後の飛行と航空の話で、通称『飛行による三顧の礼』。一生懸命書いたので、見ていただけると嬉しいです!
▼ではスタート!▼
日本の国土防衛において、航空戦力が国防の骨幹となるべきことは大戦の経験上明白だ。
今は航空兵力・産業ともに禁止されているが、いずれは日本自身で守らなくてはならない時がくる。
*
すでに終戦から五年も過ぎようかという一九五〇年(昭和二十五年)の春。
焦燥感に駆られた旧陸軍航空関係者は将来を見据え、航空再軍備の研究をはじめていた。
研究会は主に陸士三十一期から四十四期までのメンバーで構成されており、その中にはかつての陸軍航空部隊の象徴、飛行の姿もあった。他のメンバーと比べると二から三十才ほど若かったが、見た目ほど年齢は離れてはいない。象徴ということから、一定の年齢で身体的成長が止まっているだけだった。いずれにしても現状を前にすれば飛行にとってはささいなことであり、そもそも見た目年齢との差も今にはじまったことではなかった。
会議がはじめると、早速意見がでてきた。現在、空のことは兵力も産業も禁じられているが、すこしでも航空再軍備が早まるように、みな真剣な表情で議論をしていた。話し合いが進むと徐々に方向性が絞られて、基本構想が固まってくる。
――「防空を主体」とした「独立空軍」を「アメリカの協力を得て作る」
とくにアメリカの絶大な協力は不可欠で、それは日本の占領政策が関わっていることはもちろんのこと、なにより終戦から五年も過ぎると航空技術の進化についていけなくなっていた。
なんとしても航空の芽を吹かせなければならない。研究案は「とにかく実現可能なもの」を目指し、厳しい中、政界や財界、アメリカにも人脈を通じて理解を得る努力も要することになった。
話が一段落し、方向性が決まると、部屋の中はひとまずの安堵と静寂に包まれた。飛行はその静けさを利用して、ひとつ疑問に思っていたことを口にする。幾分若い声が室内に響いた。
「海軍とは協調しないんですか?」
かつて陸海軍ともに航空部隊を有していたが、いずれも主流ではなく、先の大戦の反省や現状の財政を考えると「統一した」独立空軍を創設することが理想的だと飛行は考えていた。今の話し合いでも統一空軍を前提としていたが、旧海軍関係者との合同研究の話は出ていない。
「まずは防空をしっかりやらねばならんだろう」
「防空戦は我ら陸軍の専門じゃないか」
「海軍は海洋作戦が主体だからまだいいよ」
「海軍は直接的には本土防空とは関係がない」
「創設したのち、人員だけ協力してもらおう」
否定的な声が大勢を占める。防空主体の空軍建設を考えると海軍の意見を聞いてやる気はないようであった。
「(しかしそれでは……)」
飛行は言葉を発しようとしたが飲み込む。メンバーの気持ちがわからないでもなかった。
陸海軍が健在の頃も航空部隊を統合する話が出たが、海軍の強力な反対で立ち消えになっている。いまだ陸海軍でさえ再建の芽が出ていない中、こうしてはじまった、まだまだ弱々しい空の灯を消してはならないと飛行は思った。
しかし、それからまもなくのこと、日本に衝撃的なニュースが入ってきた。
六月二十五日、突如として勃発した朝鮮戦争である。この出来事は再軍備を禁じられていた日本にとって大きな転機となった。
まずは北朝鮮軍の南下を受け、米極東軍は最終的に在日米陸軍すべてを投入することになった。そのため日本には軍隊が存在しなくなり、その穴を埋めるためにマッカーサーは警察予備隊の創設を指示。人員は七万五千人で、これが後の陸上自衛隊の前身組織となった。
次に、米極東海軍司令部は部隊の上陸を阻んでいた敵の機雷を除去するため、海上保安庁の掃海部隊に掃海活動を依頼した。成果をもたらした掃海部隊の活躍により、海軍再建の機運は大いに高まっていく。
*
翌、一九五一年(昭和二十六年)の春。
海を挟んだ朝鮮半島ではいまだに戦争が続いており、日本はその影響で「朝鮮特需」に沸いていた。厳密には一部の産業が恩恵を受けるだけであったが、いずれにしろこの男にはあまり関係はなかった。
「さて。そろそろかな」
航空は自室の時計を見てつぶやいた。気のせいか案外声が響いたように感じる。部屋を綺麗にしたからか――。普段から散らかっているわけではないが、今日は客がくるのでいつもよりきれいにしたつもりである。
訪問の知らせは突然だった。あの旧陸軍航空の飛行から『会って話したい』とあいさつもそこそこに、日時の記された手紙が届いた。昨今は電話も普及しているので、一言こちらの都合も聞いた上で訪問してもらいたいものだ、と思ったが、一方的な手紙を送りつけてくるあたり、まるで断ることを許さないような圧力を感じた。
「別に断わりゃしないよ」
人を選ぶけどさ……と、つぶやきながら玄関で靴を履き、外に出る。
航空の家は山の上に建っていた。山といってもこの辺り一帯が丘陵地なので、低くなだらかな山である。ただ坂が多いので、家にたどり着くまで多少難儀するのだ。しかし上ってしまえばその分海の見える場所で、なにより航空にとって慣れ親しんだ場所も望めた。今となっては暗澹たる思いにさせられるが……。
そうこうしているうちに、人が上ってくるのが見えた。飛行だ。普段、わざわざ外で出迎えるなどめったにしないが、今日はなんとなくそういう気分だった。近くにくると航空は自分から声をかけてみる。
「よぉ」
「おー」
ともに短いあいさつだった。久しぶりの再会にお互いすこし緊張しているように感じる。航空は門を開け、飛行に中に入るように促した。
「はるばるようこそ」
「言うほど遠くないさ。ただ坂はきついな」
苦笑まじりに飛行が言う。
「はは。でも眺めはいいんだ」
「そうみたいだな」
飛行は視線を海の方へ向けた。見える景色から思うところはあったが、特に口にすることはなかった。言ったところで気持ちが上向く話でもなさそうだ。
「まぁとりあえず上がってよ」
「ああ」
飛行は門から玄関までの道のりを航空に促されるまま歩き、家に上がらせてもらった。はじめは航空が元海軍なので、家はしゃれた西洋風かと思いきや案外和風で、通された部屋も当然和室だった。
「お互い変わらないね」
机を挟み、向かい合って座ると航空はそう口を開く。航空は旧海軍航空隊の象徴だ。人ではないから飛行と同じく外見上は年をとらない。
飛行は「そうだな」と軽くうなずきながら返事をしたが、顔を上げて航空の表情を見るとすこしうんざりしていて、もしかしたら今の言葉は象徴同士のお決まり文句ではなく、違う意味も込められているかもしれないとすこし引っかかった。
思い当たるものはひとつある。
以前、飛行が頭の片隅で思っていたことで、『なぜ自分の身が残っているのか――』という疑問だった。終戦を迎え、陸海軍が解散したこともそうだが、何より空軍を保持することを禁じられてしまったのだ。航空部隊の象徴はそのよりどころを失ったと言っていい。
もしかしたら航空の言葉と表情にはそんな意味が込められているかもしれないと思ったが、あいにく今の飛行はそれに付き合う気はない。二、三年前ならあるいは付き合えたかもしれないが、今は違う。それこそ今日ここにきた理由がまさにそれだ。
わずかな沈黙が続いていたが、雑談はしないで単刀直入に要件を言うことにした。航空とて早く要件を知りたがっているはずだ。そう思うと飛行は改めて背筋を伸ばし、真剣なまなざしで航空に向き合う。その気配を察してか航空もすこし背を正し、視線を合わせる。飛行はその瞳に思いの丈を込めて言った。
「なぁ航空、俺と一緒に空軍を作らないか?」
飛行は航空から視線を外さず、思いが届くようにじっと見つめる。軽口を叩いているわけではない。真剣で大切な話だ。
お互いしばらく見つめ合っていたが、ふいに航空が視線を外し言葉を発する。
「話があるっていうから何かとは思っていたけど……」
航空は目に見えて喜ぶわけでもなく、どちらかというと戸惑いを感じているようだった。それでも飛行は続ける。
「一緒にやってほしい。いや一緒にやらないとだめだと思うんだ」
「……」
「もちろん今は航空兵力を持つことは許されていない。だけど、いつかは必ず持てる日がくるはずだ。その時は、陸海軍に従属するのではなく、統一の独立空軍にしたいんだ」
「……」
航空は返事こそしなかったが、顔つきは徐々に真面目になっていった。ひとまず茶化したり、適当に受け流すことはなさそうだ。
飛行は続けて去年来、旧陸軍航空関係者が集まって航空再軍備の研究を重ねていることも話した。掻い摘んで研究内容も説明する。
そして去年、瞬く間に警察予備隊が発足し、海上保安庁の人員も増えているのだから、いよいよ空も統一の独立空軍に向けて旧陸海航空関係者が協力し、前に進めるべきだと飛行は訴えた。
「航空。俺たちで独立空軍を作ろう。陸海空、三軍の一翼を担うんだ。真剣に考えてみてはくれないか」
頼む、と最後は頭を下げた。進むべき道はこれしかない。飛行はなんとしても航空を口説き落とさねばと必死だった。
沈黙が続いた。
飛行はゆっくりと頭を上げ、不安の面持ちで言葉を待つ。
航空は飛行の下がり眉を見て、長くゆっくり息を吐くと、ようやく言葉を発した。
「飛行の話はわかったよ。研究会もよくやっていると思う。統一の独立空軍の話も正直興味はあるよ」
飛行の表情が明るくなる。
「だけど、防空主体となるとどう協力できるかわからないな。そっちは専門じゃないからね、俺たちは」
航空の言う俺たちは、旧海軍航空部隊のことだ。
「それに俺の考えを言わせてもらうと、新しい航空兵力を創設するなら、島嶼・海洋での能力が高い旧海軍航空のようなものでないとだめなんじゃないかな。日本は島国だから」
飛行は暗に自分たち旧陸軍航空部隊がそちらの方面では能力が劣ることを指摘されていると感じた。それはその通りなんだが――。
さらに航空は海軍側の事情として、水上艦艇部隊との連携や対潜警戒についても口にする。確かに、陸も地上部隊との協力はあるが、海はより艦との関係が強い。
いずれにしても意見が分かれたようだ。研究会のメンバーが危惧した通り、根本的な方向性から違っている。はなからすんなりまとまるとは思っていなかったが、経験からくる違いは予想以上に大きかった。しかも、旧陸軍航空側は防空主体を絶対に譲れない。これは大変だぞ……と飛行は密かに頭を抱えた。
再び沈黙が訪れた。
さてどうしたものか――。飛行は代案など持ち合わせていない。だからといって「はいそうですか」と納得して帰るわけにもいかない。それでは結局過去と変わりがなく、統一空軍の夢は散ってしまう。それだけは絶対に避けなければと飛行が悩んでいると、航空が言葉を続けた。
「ただ現状、俺たち……旧海軍航空関係者の議論は進んでいない。なんせ艦さえどうにもなっていないんだ」
最後は半ば苦笑交じりたっだ。航空もあれこれと語ってはみたが、全く実体を伴っていないばかりか、見通しすらもついていなかった。それに海の再軍備は艦艇が優先で、航空部隊は二の次であろうことも想像できる。その点なによりも空のことを優先して考える独立空軍は魅力的であり、航空はその可能性を排除する気にはなれなかった。
「飛行、今すぐ一緒にやろう、ということは言えない。でも可能性は捨てたくない」
「航空……」
「飛行たちはそのまま研究を続けてほしい、防空に関しては君たちの方が一日の長があるからね。そこは任せたい」
今すぐ加わるわけではないが、統合する余地は残す。航空の結論はそんなところだ。とりあえず及第点かもしれない。最悪全く取りあってくれない可能性もあったのだ。飛行はいつ航空が加わってもいいように研究を進め、成果をだしていこうと強く決心する。
今後はひとまず、ふたりの間で情報交換をしつつ、意思の疎通はしていこうという話になった。完全なる一致ではなかったが、確実に一歩は進んだはずだ。
*
進んだはずだった――。
*
同年、秋。
不定期だったが、連絡を取り合っていた航空と急に連絡がとれなくなった。電話をかけても一向につながらない。時間を変え、日にちを変えても全くつながる気配がなく、これがしばらく続くとさすがに何かあったと思わざるを得ない。
さては航空の身に何かあったのか? と、不安になる。一度そう思うとどんどん悪い方向に考えが進み、いても立ってもいられなくなった。
外を見ればどんよりとした雨雲が空を覆っていて、それがまた一層不安をかき立てる。
行こう。あの日以来会ってはいなかったが、今すぐにでも駆け付けて無事な姿を確認したかった。
それからの行動は早かった。
飛行は薄手のコートを掴むと素早く袖を通し、最低限必要なものだけを持って家を飛び出した。
そして鉄道を乗り継ぎ、なんとか航空の家のふもとまでやってきた。天候が違うだけで、こんなにも前回と雰囲気が違うのかと思ったが、そこには憂慮も多分に含まれている。
飛行はコートの襟を合わせながらまたあの坂を上りはじめた。無事でいてくれ! と、今はそれだけで頭がいっぽいだった。
なんとか足早に坂を上りきると門へ向かって歩く。前回はここで声をかけられたが、今日はもちろん航空はいない。
門を開けて中に入る。航空自慢の見晴らしも今は目に入らない。
玄関を目指し、呼び鈴を鳴らした。
いるだろうか。
いたとしても倒れていたらどうする。
そんなことを考えながら玄関の前で待っていると、中で人の気配を感じた。
「航空!」
思わず呼びかけると、
「……飛行?」
と中から航空の声がした。
無事だった。なによりそれに胸をなでおろす。
「航空、突然きてすまない……。すこし話ができないか?」
玄関越しに話かける。さっきよりも気配がぐっと近くなっていた。今は玄関戸を挟んだすぐ向こう側にいるのがわかる。
「航空?」
しかしこんなにすぐ近くにいるというのに、いっこうに戸が開かない。
「航空」
どうしたのだろうか……。
いっそこちらから開けてやろうと試してみたがあいにく鍵がかかっていた。
「おい、航空。いるんだろ? 開けてくれないか?」
また不安が襲ってきた。すると中から、
「ごめん、飛行……」
と航空の弱々しい声がした。
*
ビゥゥと風がひときわ大きく音を立てた。その風は辺りの木々を揺らしている。
それから間もなくするとぽつりぽつりと雨が降り出した。
「どうしたんだ航空」
「すまない、ほんとうにすまない」
飛行は謝罪の意味を知りたくて再び呼びかけるが、航空は謝るばかりで一向に何があったかわからない。
せめて開けてくれよ……と、そう思ったが、
「帰ってくれないか」
と、航空は非情にもそんなことを言う。
「なんだって……?」
「……だから、帰ってほしいんだ」
飛行にはまったくわけが分からなかった。急に連絡がつかなくなったことも、この状態も。少なくともこんな仕打ちを受ける覚えはない。
「せめて理由を教えてくれないか?」
「何も言わずに帰ってくれよ、お願いだから」
まるで哀願しているような声だった。理由の一端も見せない航空に、何か言えない事情があるのだろうと飛行は理解した。きっとここでいくら問い詰めても無理だ。今は引き下がるしかない。
「わかった……」
「……ごめん」
でもせめて、
「また連絡してもいいか?」
と聞くが、返事は沈黙だった。
これでは統一空軍への夢が断たれてしまうではないか――。飛行はここ最近、古巣につながる警察予備隊が組織として整い始めているのを感じていた。それは公職追放が徐々に解除され、旧軍出身者の復帰が続いていたからだ。それなのに空は、目に見える成果は何もない。この道しかないという思いはより強くなる一方だというのに。
「航空、何があったのかはわからないけど、俺はあきらめないぞ」
玄関戸の向こう側の人影が揺らいだ。
「飛行……、ごめん」
航空が重ねてわびてきたが、引き下がってはだめだ。
「お前のことはあきらめないからな」
もう何も返事は返ってこなかったが、今はそれでもいい。
「また連絡する」
飛行は最後にそう言うと雨に向かって走り出した。
いつの間にか大雨だった。
飛行は家を出る前から雨雲が空一面を覆ってるのを知っていたのに、心配が先走って傘を忘れてしまっていた。
*
『また連絡する』
そう言うと飛行の気配が遠のいたのがわかった。航空は急いで室内に戻り、縁側の窓ごしにその後ろ姿を見送る。
傘ぐらい渡せなかったのか――。
そう思うほどに雨脚は強かった。
ほんとにごめん……。
一方的に連絡を絶ち、それでもわざわざ自宅まできてくれたというのに追い返してしまった。航空は心の中で何度も飛行に謝った。届かないのはわかっているが。
雨の中、走り去る飛行の後ろ姿はすぐに見えなくなってしまったが、航空はしばらく外を眺めていた。雨音だけが聞こえる静寂にしばらく包まれると、いいかげん部屋の中に戻り、ゆっくりと座った。どこを見るともなく視線を動かしなから、航空はこのきっかけを作った二週間ほど前の出来事を思い出す。
その日は突然大佐に呼び出された。
相変わらず一方的な命令で、有無をいわせない。こちらに都合があったらどうするんだ、と思ったが、こちらの都合全部と比較しても、大佐の用事の方が大切ということなんだろう。
呼び出された場所は料亭で、案内されたのは小ぢんまりとした離れだった。いわゆる密談にぴったりの場所だ。着いて部屋に入るとまだ誰もきておらず、それでも料理が並べられていて、最近こんなのは食べていないな……とぼんやりと思った。
ひとまず座布団の上に座ると、案内してくれたお嬢さん(仲居さん)が、大佐からの伝言を伝えてくれた。すこし遅れるので先に食べていてもいいとのこと。気楽でいいや、と思ったのが正直なところだ。
しばし遠慮なく料理に舌鼓を打っていると、大佐がきた。開けた瞬間、『私です』という字幕を付けたくなるほど、相変わらずの堂々とした姿だ。二、三あいさつを交わし、大佐が座るのを待つ。
「食べながらでいいですよ」
と促されたので、では……と食事を再開する。
それから頃合いを見て大佐は本題を話はじめた。
要約すると海軍再建のための準備組織が、内閣直属で秘密裏に設置されるとのことだった(Y委員会)。
「そしてここからがあなたに関係のあることですが、再建の基本概念として『空海軍』、つまり『空軍』と『海軍』を一体化させた新機構を目指します」
「空海軍?!」
「そうです。つまり日本の国防は、陸軍と空海軍の二軍体制になるということです」
「へぇ……」
「そして空海軍については、将来的に航空兵力が主体となる方向で考えています」
「えっ」
つまり、航空兵力を最も重要視した海軍ということか。これは航空にとって理想的に思えた。
「航空、あなたは戦後、随分腑抜けたと風のうわさで聞いていましたが、すこしは目が覚めましたか?」
「はい……」
返事が小さくなったのはうわさがあながち間違いではないこともあるが、正直今の話が本当に実現するのか信じられないからである。
「まぁこの準備組織は、旧海軍だけではなく米軍、および海保からも参加しますが、私たち旧海軍関係者が研究してきた方向で進むと考えています」
今から旧海軍勢と海保勢との攻防が目に浮かぶようだが、老獪な旧海軍勢が押し切りそうなことは想像がついた。いずれにしてもそれらは自分の仕事ではない。なので航空は空海軍と聞いた時から気になっていたことを質問してみた。
「空海軍における航空部隊ですが、それはすべての航空部隊を……、つまり旧海軍航空のみならず、旧陸軍航空も含めたということでしょうか?」
「ええ、そのように考えています。翼の付くものはすべて空海軍です」
これは大変なことになった。あれから時折、飛行から独立空軍に向けた話を聞いていたが、それとはまったく別物の話だ。大佐の言う通りだとすると飛行が空海軍に合流することになる。航空自身は歓迎するが、はたして飛行はどう思うだろうか。あれだけ独立空軍に執念を燃やしているのだ、快く思うとは思えない。
しかしこの話は門外不出――。
準備組織は秘密組織であるので、絶対に口外はできない。悟られてもいけない。大佐からは外部の人間とは接触するなと厳重に釘を刺されてしまった。そして今後は海空一体に向けた研究に参加するように言い渡された。
*
翌、一九五二年(昭和二十七年)の春。
航空のところに、飛行から手紙が届いた。
あの雨の日から一度も会っていないが、飛行は時々こうして手紙をくれるようになった。電話だとつながらないことがわかっているから、手紙で連絡してきているのだろう。
送られてくる手紙は一通目から、何事もなかったように平穏で、恨み節のひとつでもあるかと思ったが、そういった類のものは一切なかった。ただ気を使っているのはわかる。書いてある内容はあくまで飛行側のことばかりで、航空のことは一切聞いてこない。ありがたいと思う反面、申し訳ない気持ちになる。
なにせ、手紙をもらっても航空は一度も返事を書いていないのだ――。
部屋に戻り封を開ける。これまでの手紙では、研究を進めているものの、なかなか各方面の理解が得られない旨が書かれていた。今回はどうだろうかと、手紙に目を通すとまず飛行自身のことが書かれてあった。
それは公職追放が解除され、警察予備隊に入隊するというものだった。航空は思わず「えっ」と声を出すほど驚き、またすこし焦った。確かに航空自身も飛行と同じ時期に解除されており、現在準備組織で調整している新機構に所属することが決まっているのだが……。
しかし、飛行が警察予備隊に入隊するとなると、空海軍構想はどうなるのか。またそもそも、飛行自身が熱望している独立空軍の構想はどうするつもりなのか……。
さらに手紙を読み進めると、現在研究会では『空軍兵備要綱』という航空兵力再建案を作成中である旨が書かれていた。一月に研究素案、二月はその基礎案と精度を高めているらしい。
なるほど、あきらめてはいなかった。なぜか航空は嬉しくなった。
*
そして同年四月二十六日。海上保安庁内に海上警備隊が設置された。ついに旧海軍関係者の努力が実り、海軍再建の足掛かりができたといえる。航空も同日付けで入隊。久しぶりの公務への出仕となった。
本来ならこのことは両手をあげて喜ぶべきことなのだろうが、航空の顔は今ひとつ浮かない。なぜなら航空部隊についてはなんら進展していないからだ。準備組織の会合で一度だけ、組織編制の議題において、「航空兵力が将来的に主要ポストを占めるべき」との話がでたが、箸にも棒にも刺さっていない。
準備組織では終始、米艦艇貸与の話が行われるのみだった。それもそのはずで、もともとその話をするために作られた組織だったのだ。そしてその準備組織は、海上警備隊の設置とともに解散してしまった。
また振り出しか――。
航空はそれでも、空海軍構想の中で一応は航空再軍備の研究ができたことは幸いだったかもしれないと思った。いずれ海上警備隊の中で活かされるのか、あるいはそれとも……。
航空はそういえば……と、海上警備隊の設置と同時に新しい象徴が生まれて、ひと騒ぎあったことを思い出した。めずらしく「海さんと大佐がとても驚いていた」と、誰かから話を聞いたが、確かにそのあと駆け付けた時に会ったふたりは、すこし落ち着かない様子に見えた。
空海軍の象徴なのだろうか――と考えながら航空自身もその新しい象徴を見せてもらったが、その瞳を見た瞬間、ふとこの子は空の方向を向いてくれるのだろうかと思ってしまった。
あまりにもその瞳は、海の中をほうふつとさせる色だったから――。
その時一緒にいた陸戦は、「さすが海軍の象徴だ」と言ってえらく気に入っていた。
海軍の象徴か。
航空は自宅から見える海を見ながら物思いにふけっていた。新しく生まれた象徴についてどう解釈すればいいのか分かりかねていた。
「海軍の象徴ならもういるじゃないか、しかもふたりも。それでも新しく生まれたのであれば、彼は空海軍の象徴じゃないのか?」
誰ともわからない相手に質問をしてみるが、答えは返ってこない。
そしてこうした新しい象徴は海だけではなく、陸でも誕生していた。
航空は以前、飛行の手紙の中に陸の新しい象徴について書かれていたことを思い出す。文面からは驚きとすこしの動揺がうかがえたが、その子は警察予備隊の創設時に誕生したという。ただしばらくは米国側にいて、その存在を知ったのはすこし経ってから……とのことだった。
いずれにしろこの子たちは、そのよりどころとなる組織が誕生したので、生まれたのだろうと推測はできた。しかし、あの海色の瞳をした子が空海軍の象徴ではなかったとすると空は?
来月には日本の主権回復を控えているというのに、組織はおろか、今次、航空機をひとつも持っていないなど独立国家と言えるのだろうか。
言い知れない焦りが航空を襲った。
*
同年六月。
飛行はその日、真剣なまなざしでペンを走らせていた、航空への手紙だ。相変わらず返事は返ってこないが、読んでいると確信していた。
今回は書きたい内容が二つあった。
まずは前の手紙でも書いた『空軍兵備要綱』がおおむね完成し、意見書と合わせて、吉田首相に提出したことだ。意見書では航空関係をなおざりにした状態に警鐘を鳴らし、『空軍兵備要綱』では具体的な建設内容を盛り込んでいる。そして翌月には同じ内容を米極東空軍司令官にも提出するつもりだ。やっとここまでたどり着いたと感慨深い。
次に、去る五月、警察予備隊に『航空学校設立準備室』が設置されたことだ。これは米陸軍が連絡機を保有していることに起因しているが、警察予備隊も米陸軍の指導で連絡機を持てるようになった。翼のついたものが持てるんだ!今は学校予定地を選定中だが、今年中には学校が設立されるはずだ。所属は警察予備隊だが、どういう形であれ、現実に翼を持つことを大切だと思っている。
飛行は書き終えたらすぐに封をして手紙を出した。早く航空に知らせたかった。
*
この手紙は数日後航空のもとに届けられた。
「すごいな……」
これが素直な感想だった。
海上警備隊では海軍再建の基礎こそできたが、航空部隊の進展はほとんどない。やっと来月の頭に旧海軍航空関係者が集まり、準備組織で行っていた研究の延長をやろうという話になっているくらいだ。
このままでいいのだろうか……。今からまた研究して、それはいつ、どう形になるのか。いつかは海上警備隊の中に小さな航空部隊が誕生するかもしれないが、それはいつだ。
ここずっと、追い立てられるような焦りが航空の身を襲っていた。すでに航空再軍備の遅れはあきらかであった。日本が主権を回復してから、ソ連による領空侵犯が行われ始めたことは本能的な感覚でわかっている。言い知れぬ嫌な感覚と怒り、我が手で撃墜できぬ歯がゆさに震えた。
きっと飛行も同じ思いをしているに違いない。いやむしろ自分より強く感じているかのではないかと航空は思う。防空を担当していたのは昔から陸軍だ。いうなれば日本本土を守る最後の空の砦である。
もちろん航空は、我らこそ本土に至らしめぬよう死力を尽くた自負はある。今をもっても島嶼・海洋での能力が優れている海軍航空のような航空部隊が必要だと思う気持ちは変わらない。
しかし艦艇ありきを考え、現状二の次の身に甘んじている自分たちと違い、飛行たち旧陸軍航空関係者はまっすぐ必死に空軍の芽を出そうとしている。直接的に日本本土を守らなくてはならない責任感がそうさせるのだろうか。
航空は自身の芳しくない状況を振り返りつつ、飛行の努力を思う。
そして同年七月二日。
旧海軍航空関係者による航空再軍備研究、海空技術懇談会が開かれた。航空は参加者それぞれの表情に焦りの色が見えるのを感じた。奇しくも同日、警察予備隊の航空学校が浜松に設置されるとの報道が出る。飛行はまた着実に、一歩を進めていた。
*
そして飛行には大一番がやってきた。
報道から約二週間後の七月十七日。
旧陸軍航空関係者は米極東空軍司令官に対して「日本空軍創設に関する意見書」を提出するのだ。空軍を作るには米空軍の力を借りなければ、果たせない。
「ここが本当の正念場だ」
飛行は並々ならぬ思いで臨んだ。
*
時局を待ち、研究会の人脈を頼り、苦節二年――。
米極東空軍司令官に意見書を提出した飛行は、すぐに航空への手紙を書いていた。
前回からひと月も経っておらず、これまでで一番短い間隔だ。
まずは意見書の旨を書く。感触は悪く無いと思っていた。そう感じるのは日本を取り巻く環境に変化があったからだ。米国側はこれまで、ソ連の脅威は陸からくると信じていた。陸の再軍備に偏っていたのは、そうした理由があるからだ。
しかし今は、空からの侵略が最大の憂慮のはずだ。
「航空、それは君も感じているだろう?」
間違いなく風は変わる。
変えなくてはいけない、追い風にならなくてはいけない。
それが今回の一手であり、今が正念場だ。
今年は間違いなく航空関連に変革がくる。
そこまで書いて、飛行は一度ペンを止めた。いつもならここで結びの言葉を考え始めるが、今日は違った。
航空、また一緒にやろう。
やりたいんだ。
あの時からずっと変わらずそう思ってきた。
もう一度機会が欲しい。話がしたい。
飛行はまた一方的に日時を書き、会いに行くと伝える。もしその日にいなければ何度でも足を運ぶ覚悟だった。
*
そしてその日はあっという間にきた。
手紙が届く日数を考えて、そのすぐ後に日付を指定したので、あっという間にくるのは当然だった。
「ここへ足を運ぶのも三度目か」
坂を上れば航空の家だ。
今日はいるだろうか。
坂の上を眺めていると、夏の日差しが目に入る。この眩しさと暑さは七年前のあの夏を否応なく思い出させるが、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。飛行はそう思うと、確かな足取りで一歩を踏み出した。いてくれよ。と思う反面、いなくても「絶対に捕まえてやる」と、もはや執念ともいえる感情で航空に向き合うことに決めていた。
蝉の声が絶え間なく鼓膜を揺らす中、一歩一歩上る。
かすかな海風を感じながら上りきると航空の家の門が見えてくる。
いないか……。
はじめてここにきた時は門のところで出迎えてくれたが、今日も姿が見えない。飛行はすこし落胆したが、今日は、いなければ帰ってくるまで、閉じこもるのならば出てくるまで待つつもりだった。もし用があって帰ってこなくてもまた出直せばいい。
飛行は門を開け、玄関へ向かった。
自然と震える手で呼び鈴を鳴らす。
いる――。
直感でそう感じた。
しばし待つと玄関戸が開いた。
「いらっしゃい」
そこには一年と数カ月ぶりに見る航空の姿があった。
「久し……ぶ……り」
先ほどまでの覚悟はなんだったのか……、と思うくらいあまりにもあっけない再会だったため、飛行のあいさつはぎこちないものになってしまった。
「ああ、久しぶりだね」
航空はそう言うとはじめてきた時と同じように、飛行を部屋に案内し、ふたりともはじめてきた時と同じ場所に座った。お互い容姿は変わらないので、この状況では季節の変化だけが時間の流れを気付かせる。
「元気だったか?」
飛行はこうもあっさり会ってくれた驚きで、ありていのあいさつしかでてこなかったが、言った瞬間から早くも言葉を間違えたことに気づく。これだと連絡が取れなかった時のことを暗に責めているように聞こえやしないか!?
「飛行……、その……悪かった。これまでのこと……」
案の定、航空はバツの悪そうな表情で謝った。
そしてなお、重ねて謝罪の言葉を続ける様子の航空に、飛行は急いで言葉を遮る。
「いや、違うんだ。さっきの言葉は本当にただのあいさつで、暗に責めているとかそういうことではないんだ」
「わかってるよ。ただ俺の気が済まないんだ」
航空は飛行の性格からそうではないと理解はしていたが、これまでのことを謝罪したかったのできっかけにさせてもらっただけだ。
「でも、俺は本当に気にしていないから謝らないでくれ」
と飛行はそう言うが、
「謝らせないのも罪だよ」
と航空は返す。いっそ罵って欲しい位だ。言葉には出さないが、そう思った。この季節だからよりそう思うのか。あれから七年が経つというのに、この季節は特に気持ちが揺らぐ。
「そうか」
飛行は察してくれたようだ。航空は改めて、飛行に向き合うと、
「飛行、あの日のこと、そしてこれまでのこと本当にすまなかった」
と頭を下げた。
飛行は本当にもう気にしてはいなかったが、
「わかったよ。航空の謝罪は受け入れた。これでこの話は終わりだ。あ、でもひとつ言わせてくれ。あの日はびしょ濡れになって大変だったんだ。帰りの列車では俺が立っているところに大きな水たまりができてしまった。まぁ傘を忘れた俺が悪いんだけどさ」
さらに続ける。
「あ、でも。駅を降りたら妙齢のご婦人が傘を貸してくれたんだ。そう考えるととんだ濡れ鼠だったが、結果的には悪くなかったかもしれないな」
と、最後は笑いながらそう言った。
一気にまくし立てた飛行の話は気遣いなのだろうと航空は思った。妙齢のご婦人の話などおよそ怪しかったが、場が和むのを感じ、航空は心の中で飛行に感謝した。
*
徐々にわだかまりが消えていくのを感じる。
飛行はいよいよ今日きた目的を話すと決めた。幾分緊張して両ひざに乗せたこぶしをぎゅっと握る。そしてまっすぐ目の前の相手を見つめながら、
「航空、俺と空軍を作ること。もう一度考えてくれないか?」
と伝えた。すでに手紙にもそう書いたので、航空もわかっていたはずだ。
暑さも相まって手に汗が滲んだが、思いのほか早く航空が返答した。
「うん。俺も飛行と空軍を作ってみたいと思うよ」
飛行は我が耳を疑った。ほんとに?
研究をはじめた頃から数えれば、二年を越す間ずっと願っていたことだ。
「航空、ほんとに? その……ほんとに?」
坂を上る前の執念はどこへやら、あまりにすんなりと話が進むので、まるで臆病者になったかのように真偽を確かめる。
「ほんとだよ。信じてよ」
「しかし……」
なおも信じようとしない飛行の様子に、そういえばいつも飛行の話を聞くのみで、こちらの話は一切伝えていなかったことに航空は気づいた。
「俺にだっていい加減焦りがあるんだ。飛行の気持ちだって痛いほどわかっていたよ。でも俺は元海軍で、その……いろいろあって、あの時はああするしかなかったんだ。でも、もうそのことは終わって、今は協力してやりたいと思っている」
と航空は胸の内を語った。すでに旧海軍航空関係者の中にも独立空軍を望む声が増えてきたこともあった。先日の海空技術懇談会でもその話が出ている。
「そうか。ありがとう」
飛行は、真剣に話す航空を見て信じ、感謝を伝えた。
「でも……飛行には悪いんだけど、今でも島嶼・海洋における能力が必要だと思う気持ちは変わらないんだ」
どうしてもこのことは伝えておきたかった。
「うん。そこは俺も承知している。確かに俺たちはその点で劣っていたから、頑張らなくちゃいけない。翼を一つにするなら必要なことだ」
そこは航空に同意した。自分たちも努力しなければいけない。日本は島国なのだから。
しかし、こちらとしてもどうしても了承してもらいたいことがあった。
「俺からもひとつ言わせて欲しい。独立空軍はまずは防空主体で建設させてもらえないだろうか。空軍をなんとしても芽吹かせたいんだ。組織が大きくなれば、海洋作戦も可能になるのではないか」
最後はその時また海軍航空もやってもいいとまで言った。随分強引であり、大きくなれば……以降は可能性でしかない。しかしすでにこの路線で政府にも米極東軍司令官にも意見書を提出している。具体的な構成では、陸海軍に協力する部隊も盛り込んではいるが、まずは本体をどうにかしないと始まるものも始まらない。ここは納得してもらう他なかった。
「わかってるよ。まずは空を一つにまとめ、空軍を作ることが大事だからね。海上協力は空軍からやればいい」
航空はすこしふっきれたような表情に見えた。航空の言っていることはまさにこちらが思い描いていることだったので思わず、
「航空は艦から離れては生きていけないのかと思ってた……」
と飛行は口を滑らせてしまった。すると、
「なんだよそれ、俺たちだって最終的には地上基地ばっかりだったぞ」
とすこし苦笑いしながら冗談めかして航空が言う。
「それに……」
「ん?」
急に航空は至って空の男らしい精悍な顔つきで、
「俺が離れて生きていけないのは航空機だ」
と言うので、
「同感だ」
と飛行も同じような表情でそう言ってやった。
*
同じ方向を向けばあとは行動あるのみだ。
ふたりはその場で早速具体的な方向性を決めることにした。
まずは早急に旧陸軍航空関係者と旧海軍航空関係者が協力し、合同研究に入ること。その中で旧陸軍航空関係者が作成した『空軍兵備要綱』を基本としながら、旧海軍航空関係者の研究も織り交ぜ、合同意見書として首相に提出する方向まで決めた。
統一空軍構想が進んだ――
特に航空としては海上警備隊の中で、くすぶっていたこともあり、今は空軍として、陸軍そして海軍と同等の存在として並び立てる可能性に胸が高鳴っていた。
これも飛行のおかげだ。
ありがとう。
と改めて感謝を伝えようと飛行を見ると、彼はチラリ、と時計を見ていた。
「飛行、なにか用事でもあるの?」
と聞いてみると、
「いや。ただそろそろ失礼しようかと」
と、半ば腰を上げていた。
「え?! ちょ……ちょっと待って。帰るの?!」
「ああ」
航空はウソだろ……と盛大にため息をつく。
よく言えば気が利いているのだろうが、悪く言えば淡泊すぎやしないか。
これだけ話がまとまって、ともに歩んでいくと決まったのだから、酒でも酌み交わそうかと思っていた航空の当てが思い切り外れた。飛行は、引き留める航空を見ながら、他に何か用でもあるのか? と言わんばかりの顔をしている。
「あのさ、もうちょっと親睦を深めるとかないの?」
航空自身、昨今は人を遠ざけていたことが多かったので、自分の口からそんなセリフが出たことに苦笑するが、なによりもこれほど因縁のある相手はお互いそうはいないだろ……と思う。すると飛行は、
「あ、そうか……いいのか?」
と抑揚のない声で返事をする。
まったく、淡泊すぎるだろう! と航空は心の中でつっこまずにはいられなかった。
*
開け放っていた窓から入る風が、幾分涼しさを室内に届けていた。
ふたりは互いに杯をあげ、『乾杯』と酒をあおる。
「うまい酒だ」
「そうだね」
こうしてふたりで穏やかに酒を飲むなど、過去にあっただろうか……。ふとお互い昔の記憶を探ってみたがすぐにやめた。今こうしていることが大事であって、独立空軍が創設されれば、このような機会はいくらでも増えるだろう。
飛行は再び酒を口に運ぶと、
「今はすこし夢心地だ。ここにくる前の自分に伝えてやりたい」
と言った。飛行は今も、あの決意と執着はなんだったのかと、ひとりひそかに笑っていた。それを聞いた航空も、確かに夢心地ではあったが、
「まだ、空軍ができたわけじゃないんだ。それにこれからが大変だろ?」
と言った。
「それはそうなんだが、こちとら袖にされ続けたんでね」
と飛行が冗談めかして言うので航空は、
「でもそういう方が燃えない?」
と返してやると飛行が声を出して笑った。
ひとしきりふたりは笑い、お互い改めて酒を口に運ぶ。
「でもほんとにこれからだな」
「そうだね。うちは身内も攻略していかないといけないし」
航空は『空海軍』構想を持つあの二人の高い壁を乗り越えねばと思う。
「あー、昔大反対してたよな」
「今回だってきっとそうさ」
しかし乗り越える機会は今しかないと思っている。今はあの頃と違い自分たちに決定権はなく、米海軍に頼るほかないばかりか、あの二人がボロい米国艦の貸与に必死になる位ドン底だ。死体に鞭打つことになりかねないが、今は航空再軍備を優先させたい。
そこで航空はふとあることに気づいた。
「飛行は反対されてないの?」
昔も空軍設立は陸軍から提案してきたが、最終的には陸軍内でも反発があったはずだ。
「ああ、うちは予備隊自体、米国が作ったようなものだし、何より陸さんは賛成してくれている」
と飛行はこともなげに言う。
「え? 陸軍さんに会ったの?」
「面会はできるんだ」
「そう……。その元気?」
「最近はよくなってきたと思う」
複雑な表情ではあったが、いい方向に向かっているような気配は感じ取れた。
「あ、そうだ航空。ひとつ聞きたかったんだけど、海上警備隊が発足したときに新しい象徴が生まれたって本当?」
「ああ。本当だよ」
「そうか、じゃあそういうもんなんだ」
「??」
なにやら飛行はひとり納得している。
「いや、新しい象徴が生まれたら消えてしまうかと思ったんだ」
これまでの話の流れから「何が?」とは聞かず、
「うちは海さんも大佐もピンピンしているよ」
と航空は伝えた。それを聞いた飛行は「そう」と言って、嬉しそうに笑う。
航空は話を続けた。
「新しい象徴はさ、結局新しい組織っていうことなんだろうね。俺は再建するって思っていたけど」
「そうだな」
そして、かつての象徴も消えることはない。
それはいつまでか、なぜなのかもふたりは分からなかったが、今はそれよりも、
「じゃあ三男坊も生みだしてやらないと」
「もちろんだ。絶対誕生させるぞ」
「俺似の子かな」
「待て、ここまで誰がお膳立てしてきたと思ってんだ」
とふたりは自分たちの頑張り次第で、もしかしたら空の象徴が誕生するかもしれない可能性に胸をふくらませた。
こうして未来を強く思えば、これまでの辛い過去さえも幾分遠くに感じる。もちろん、過去には華々しい戦果や愛する航空機たちなど、誇れる部分もたくさんあったが、胸が裂けるようなこともあったのは事実だ。
これら全ては存在が消滅するまで、背負っていくものだ――。
それでも、こうして同じ立場で同じような経験をして、そのことを分かり合える奴が隣にいること、そしてなにより同じ時間軸で存在していることは、なんと心強いことだろうか。百年経ってしまえば当時を知る人間はいなくなってしまうのだ。
ふたりはともにあり続けるためにも、また過去の英霊たちのためにも、独立空軍をなんとしても建設せねばと固く心に誓うのだった。
終
はい!ということで、ここまでお読みくださりありがとうございました!ふたりのめざす独立空軍まではもう少し紆余曲折がありますが、三顧の礼はここまでです☆未熟者全開のつたない小説ですが、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。