大日本帝国陸軍 憲兵

警察権を有する軍人

呼び名は「憲兵(けんぺい)」。階級は中佐。

憲兵の主な職務は軍事警察であり、陸海軍を問わず軍紀・風紀の維持と取り締まりを行う。さらに行政警察および司法警察の機能も司り、憲兵は「軍事警察権」と「普通警察権」の双方を付与された極めて特殊な軍人である。

内に対しては軍内の弛緩や不正を正し、外に対しては国家・社会の治安維持に尽力する、それが憲兵の真の姿である。
憲兵1

英才教育のもと

憲兵自身は明治22年、「憲兵条例」改正の時代にその存在が確認された。
成長とともに「陸軍地方幼年学校(東京陸軍地方幼年学校)」へ通い、卒業後は「陸軍士官学校予科」※1へ進学。当時、予科生は「予科茶目(ちゃめ)」と称され周囲から可愛がられる存在であり、憲兵自身の黒髪に色白の肌、端正で整った容姿と物静かな佇まいも相まって「少年さわぎ」※2を引き起こす事もあったが、本人は全く意に介していなかった(というか完全に眼中になく、微塵も興味を示さなかった)。

その後「陸軍士官学校本科」へ進むが、制度上、憲兵科将校は他兵科からの転科によってのみ任命されるため、士官学校には「憲兵科」が存在しない。そのため士官学校時代は歩兵科に所属した(※本人は陸の騎兵科を希望していたが、憲兵組織の創設にあたり歩兵科からの転科者が多数を占めていた影響による)。卒業後は一定期間の隊付勤務を経て「憲兵教習所」へ入校し、晴れて名実ともに憲兵として世に出る事となった。

本来、憲兵科は他兵科を経験した後に就く職種であるが、彼自身は「生まれながらにして憲兵となるべき宿命」をもって誕生している。そのため幼少期より、憲兵組織の礎を築いた「陸」から直接憲兵精神を叩き込まれ、厳格な英才教育を受けて育った。

※1 当時は中央幼年学校ではなく「士官学校予科」へと制度が改編されていた時期である。
※2 美少年の存在を巡って周囲の男子生徒たちがざわつく現象。


多岐に渡る憲兵の仕事

管轄上の基本的な所属は「陸軍大臣」であるが、実際の職務執行にあたっては取り締まる対象に応じて指揮系統が分かれる。軍事関係は「陸海軍大臣」、行政警察業務は「内務大臣」、司法警察業務は「司法大臣」の指示・指揮を受ける複雑な体系であった。また、地方自治体(都道府県)や関係機関から出動要請を受けるケースも存在した。軍事に関連する治安業務が中核であるが、一般的な警察の手に負えない高度な事件・案件が警察補助として憲兵のもとへ持ち込まれる事もあった。

さらに戦地においては、司令官の指示のもと軍の作戦行動に直結する任務を遂行し、占領地においては警察業務の要となって地域の安定化を図った。取り締まりのみならず要人警護も重要な役目であり、捜査・探知にとどまらず、時代の変遷に伴い思想犯の検挙や防諜業務なども加わり、その職務範囲は極めて多岐にわたっていた。

憲兵の宿命

憲兵はその職務上、自らが「全軍の手本」となるべく行動し、軍紀の維持と絶対服従の精神を徹底して叩き込まれる。そしていかなる相手に対しても公正無私に対処せねばならないため、組織内において最も制約を受けない立場に置かれていた。

平時においては、軍事警察と治安維持の使命のもと国民からの信頼も厚かった。しかし動乱の時代へ突入すると、軍隊の権力を背景にあらゆる人物に対して警察権を行使できる立場にあったため、時として政治権力者に利用され、内部の派閥抗争の波に呑み込まれる事もあった。戦争末期には過酷な取り締まりも行われたが、「戦争の遂行と国家の維持」が命題である以上、憲兵にとってそれは課せられた職務であり、周囲からどう憎まれようとも遂行せねばならなかった。警察業務とは常に「憎まれ役」の宿命を帯びるものだが、多くの憲兵たちは「監軍護法」の理念を胸に、ただ愚直に自らの職務を全うしていたのである。

メインビジュアル

メインビジュアルでは「昭五式軍衣」を着用。装備としては軍刀と拳銃を身に付けている。(※MMDモデルでは「九八式軍衣」への変更も可能で、その際は襟元に「憲兵徽章」が装着される。また、モーフによって『憲兵腕章』を表示させる事も可能だが、これはあくまで演出用であり、憲兵将校である彼自身は本来装着しない)。

勿論、時代の変遷や任務の性質に応じて身に付ける軍装を着替えている。

ド真面目

一人称は「俺」。
性格は極めて厳格で、真面目。職務の性質上、いかなる圧力にも揺るがない公正な心を持っており、羽目を外すような真似は決してしない。また憲兵組織の特殊性ゆえ、他の一般兵科とは明確に一線を画している。他兵科の象徴たち(主に砲兵や工兵など)が同じ象徴としてフランクに馴々しく接してきても、どこまでも冷静かつ客観的な態度で受け流している。

憲兵にとって「陸」は自らの存在根幹をなす存在であるため、基本的には陸の命令に固く従う。しかし、憲兵本来の正義や規範を越えるような事態に直面した際には、その陸に対してさえ熱い憲兵魂をもって真向から意見をぶつける事もある(※勿論、最終的な命令には服従する)。憲兵としての職務に深い誇りと強い使命感を抱き、どこまでも真摯に向き合い続けている。
憲兵2

終戦時の憲兵

終戦直後の未曾有の混乱期において、国内の治安維持に奔走したのは憲兵であった。一般部隊が次々と軍の任を解かれる中、憲兵組織は逆に増員され、軍事警察として徹底抗戦を主張する勢力を抑え込んだ。当時、日本国内には約400万人(海外を合わせれば計700万人近く)の軍隊が存在していた。激しい動揺と抗戦派による不穏な動きが蠢く中、憲兵が沈静化に全力を注いだ事により、連合国軍の無事な進駐とスムーズな体制移行が実現したと言っても過言ではない。また秩序が混迷を極める中、軍人や民間企業による不正物資の横流し等の検挙にもあたった。敗戦という国家始まって以来の危機において、治安確保と進駐軍との無用な衝突回避を命題に、最後の最後まで職務を全うし続けた。

大きな傷

戦後、憲兵組織からは多くの戦犯(戦争犯罪人)が出される事となった。国家の戦争遂行に愚直に協力し続けた結果であった。また組織が「陸軍大臣」の直轄にあったため、軍の暴走を食い止める見張り役としては限界を抱えていた。しかし、敗戦のショックに打ちひしがれる社会には「憎しみの矛先(ターゲット)」が必要であり、連合国の政治的思惑も手伝って、憲兵は格好のスケープゴートとされてしまった。根拠のない悪評や過度な偏見が嵐のように吹き荒れ、それは現代に至ってもなお完全に消え去ってはいない。散っていった同僚たちの無念を思うと心静かに憤慨を覚えるものの、表には出さず、自らの組織が反省すべき点も真摯に受け止めている。しかしその記憶は胸の中に深い傷として残り続けており、その孤独と苦しみを真に理解するのは、自らもまた無数の悪評と罪を背負い続ける「陸」ただ一人である。

現代では

現代では「陸上自衛隊 警務科(けいむか)」として勤務。階級は「2等陸佐」。警務科はかつての憲兵科に該当する組織であり、権限の及ぶ範囲こそ憲兵時代より制限されているものの、自衛隊内部における警察業務および保安業務に日々従事している。なお、現在は陸・海・空それぞれに警務官が存在するが、その育成・教育は陸自の「陸上自衛隊小平学校」で一括して行われているため、憲兵はそこで次世代へ不滅の「憲兵精神」を伝え続けている。

※特別司法警察職員として、自衛隊法に基づく特別司法警察権を行使できる自衛官。
憲兵3
軍帽を脱ぐ
憲兵4
九八式
憲兵5
四五式
憲兵6
陸自(常装冬服)
読了