大日本帝国陸軍 砲兵

戦闘ノ骨幹

呼び名は「砲兵(ほうへい)」。階級は中佐。

大小さまざまな火砲を駆使し、「戦闘ノ骨幹」として戦うのが砲兵の使命である。

かのナポレオンも砲兵科の出身であり、大砲を縦横無尽に用いて戦場を支配した。そして第一次世界大戦を経て火砲の威力が飛躍的に増大すると、砲兵は一気に戦場の主役へと躍り出たのである。

圧倒的な大火力をもって敵を殲滅し味方を勝利へ導く姿から「戦場の女神」、あるいは「戦場の王」「戦場の神」と称えられる。
砲兵1

陸に海に空に

一口に砲兵部隊と言ってもその種類は多岐にわたり、担う役割は極めて大きい。

大まかに分類すると、陸上の戦場において敵陸上兵力と直接交戦する「野戦部隊」、海岸線に展開し迫り来る敵艦艇を撃滅する「要塞部隊」、そして航空機の台頭に伴い大空の脅威を撃ち落とすべく誕生した「高射部隊」が存在する。

砲兵は「陸に、海に、空に」巨大な砲口を向け、圧倒的火力をもって味方を救援し、国家を護り続けているのである。

※例えば「歩兵」は一つの名称で包括できるが、砲兵はそうはいかない。終戦間際には「野砲兵」「山砲兵」「騎砲兵」「野戦重砲兵」「重砲兵」「高射兵」「機動砲兵」「船舶砲兵」など、運用する火砲の種類や戦術思想の違いによって細分化されていた。

市ヶ谷台のアイドルから戦場の女神へ

その出自は、明治15年に立案され明治17年より10ヵ年計画で発動された「軍備拡張計画」の時代まで遡る。この軍拡計画に伴い砲兵部隊は順次増強され、砲兵の存在も確立されていった。

やがて成長とともに「東京陸軍地方幼年学校」へ入学し、卒業後は「陸軍中央幼年学校」へ進学。歩兵とは同期入学の間柄であるが、歩兵に比べ兵科の増強スピードが緩やかであった影響か、当時の砲兵にはどこか幼さが残っていた。幼年学校の生徒たちは当時「幼年茶目(ちゃめ)」と呼ばれ周囲から可愛がられていたが、砲兵はその整った容姿も相まって自他ともに認める「市ヶ谷台のアイドル」であった。また、彼を巡る「少年さわぎ」※1も相当な規模だったという。

陸軍中央幼年学校を卒業後、1年間海外へ赴く。砲兵の扱う火砲は元々西洋からもたらされたものであり、海外の技術が先行していたため本物志向の強い砲兵であったが、折しもドイツの博覧会で最新規格の大砲が発表されると聞き、「どうしても直接この目で見たい!」と熱望しての渡航であった。

帰国後は工兵と共に陸軍士官学校、そして「陸軍砲工学校」※2へ。砲工学校では2年目「高等科」へ進み、「優等」という極めて優秀な成績で卒業。卒業後は念願のフランス留学を果たし、名門フォンテンブロー砲工兵学校でさらに専門知識を深めた。

初陣は日露戦争。以降も幾多の激戦地を駆け巡りつつ、最新兵器の研究開発に奔走する多忙な日々を送る事となる。

※1 美少年を巡って周囲の男子生徒たちがざわつく現象。後年「憲兵とどちらがより大きな騒ぎを起こしたか」を競おうとしたが、当の憲兵からは競う気すらなく冷たくあしらわれ、非常に迷惑がられている。
※2 陸軍砲工学校は、高度な技術知識を要する砲兵・工兵科の将校に対し、さらに専門的な教育を施す最高峰の教育機関。士官学校卒業・任官後、1年間の隊付勤務を経て入学する。1年目の普通科で成績上位4分の1のみが2年目の高等科へ進級可能。さらに優秀な者は「員外学生」として東京帝国大学や京都帝国大学などの帝国大学へ派遣され、将来の陸軍技術中枢(エリート)として育てられた。(※昭和14年より航空・戦車・輜重など他兵科の受け入れも開始し、昭和16年に「陸軍科学学校」へ改称)。

メインビジュアル

メインビジュアルでは「昭五式軍衣」を着用。実戦での指揮を想定した装備であり、軍刀や拳銃に加え、弾道計算や着弾確認に不可欠な双眼鏡と図嚢を身に付けている。(※3Dモデルでは「九八式軍衣」への着せ替えや装備の脱着も可能)。

勿論、時代の変遷や戦局に応じて適宜身に付ける軍服や装備を変更している。

理系男子

一人称は「俺」。
圧倒的な大火力をもって戦場の勝敗を一変させる力を持つため、根はかなりの「俺様」気質。かつては「砲兵じゃなきゃ軍人じゃねぇ!」と公言して憚らないほど尖り散らかしていた時期もあった。

大砲の火力のごとき態度のデカさを誇る一方で、その本質はどこまでも精密かつ緻密。巨大な大砲を設計・運用するには高度な数学・物理の知識と精密な弾道計算が不可欠であり、砲兵自身も頭脳明晰な「理系男子」である。理系でありながら、巨大な火砲や弾薬を扱うため体格もがっしりとたくましい。なお、砲撃の際は気温・湿度・風向などの気象データが決定的な意味を持つため、何気に天気予報が得意という特技も持つ。

そして当然ながら、大砲に対する愛とプライドは人一倍強い。砲兵部隊には天皇から親授される「軍旗」が存在しなかったが、彼らは大砲こそを自らの軍旗と見なし、戦場において最後の一人になろうとも砲撃を続け、大砲と運命を共にしていったのである。

※陸軍において「軍旗(旭日旗)」が授与されたのは歩兵連隊と騎兵連隊のみ。
砲兵2

祖である「陸」

日本砲兵の基礎を築いたのは、陸軍の象徴である「陸」である。砲兵は陸を「祖」として心から尊敬・信頼し、彼を支えるべく全身全霊を捧げてきた。ただし、若気の至りと大砲への溢れ出る情熱ゆえ、かつては陸に対して生意気にかみつく事もあった。陸としては想定内の微笑ましい反抗期であったが、戦後、当時の青く尖っていた姿を酒のツマミとして引っ張り出され、砲兵を赤面させている。

戦場の相棒「歩兵」

「近接戦闘の歩兵」と「遠距離火力の砲兵」。
大日本帝国陸軍における主攻を担う二枚看板といえば、間違いなく歩兵と砲兵である。

古くは騎兵、後には戦車や航空兵が加わるものの、陸上戦闘の基本は「歩砲協同」。砲兵が後方から大砲をドッカンドッカン叩き込んで敵陣地を徹底的に耕し、そこへ歩兵が突入して占領・確保するのが王道パターンである。砲兵は大火力で歩兵の進路を切り開くが、反面、敵に肉薄される近接戦闘には脆弱なため、接近してきた敵からは歩兵に護ってもらわねばならない。戦場では互いに軽口や文句を言い合いながらも、背中を預け合う絶対的な信頼関係で結ばれている。

また、歩兵とは幼年学校時代の同期でもあるため、気心が知れ切った腐れ縁の仲でもある。

親友の「工兵」

同じ技術系兵科の象徴である「工兵」とは、幼年学校時代に1つ下の後輩だった彼をパシリ……(ゲホン!)可愛がっていた間柄。その後の陸軍士官学校および砲工学校では同期となり、共に高度な学問に励みながら青春時代を過ごした。

卒業後は、陸軍における技術・兵器開発の双璧として共に重責を担う。戦場においても工兵が砲兵のための行進路や陣地を切り拓き、砲兵もその大火力で工兵の作業を援護するなど最高の連携を見せた。性格的には正反対な部分も多い二人だが、非常に気心の知れた親友であり、その深い友情は現代でも変わらず続いている。

弟のような「飛行」と「戦車兵」

日本の戦車や航空機の開発・発展に対し、砲兵は技術面から深く関わってきたため、「飛行(海軍航空兵)」や「戦車兵」は彼にとって弟のような存在である。成長とともに体がでかくなり、静かに態度もデカくなった飛行に対し、砲兵は「お前の成長は俺のおかげだ!」と輪をかけて態度でかく兄貴風を吹かせている。(※戦場においても、遠距離射撃を行う砲兵にとって、上空から標的の確認や着弾修正を行ってくれる飛行は頼もしい相棒であった)。

戦車兵に対しては、不遇だった黎明期から見守り、戦車砲の開発にも長年携わってきたため、親身になって可愛がっている。互いに尖った性格をしているが、尖っているベクトルが似ているため不思議と理解し合える仲。現代の陸自時代においては、名実ともに肩を並べて戦う戦友である。

現代では

現代では「陸上自衛隊 特科(とっか)」として勤務。階級は「2等陸佐」。
特科には主に「野戦特科」と「高射特科」が存在し、それぞれ役割が異なるが、彼はその双方に跨って多忙を極める日々を送っている。

また「高射特科」は大空の防衛を担うため、航空自衛隊(空自)との連携も密である。そのため空自と一緒につるむ事も多いが、飛行から「空自に変な知恵や余計なことを教えないでください」と釘を刺されている。
砲兵3
軍帽を脱ぐ
砲兵4
九八式
砲兵5
略帽
砲兵6
四五式
砲兵7
もふもふ
砲兵8
陸自(常装冬服)
読了