関東大震災 -If- の動画解説

この動画は軍隊と災害派遣をテーマにした動画です。

アピールポイントは「日本陸海軍も災害派遣してたんだぞ!!すごかったんだぞ!!」です。 あとは関東大震災のヤバさと復興のすごさなんかも盛り込んだつもりです。

以下解説しますが、軍隊の行動がメインなので、それ以外の政府や他各官庁、民間による救済復興活動にはあまり触れていませんのであしからずー!軍隊以外もすごいぞ!っていうのはいっぱいあるんですけど、まとまらなくなるのですみません!




関東大震災をテーマにした理由


自衛隊の災害派遣をきっかけに、旧軍はどうだったんだろう?と調べたら、今の自衛隊とあんまり変わらない形で災害派遣を行っていた事例がいくつも出てきたんですよね。旧軍といえばどうしても戦争のイメージになってしまうんですが、災害派遣をきっかけに、もっと身近に存在していたことを感じてもらえたらと思うようになりました。

その中で、関東大震災をテーマに選んだ理由は、近代化した日本の首都圏を直撃した歴史的な震災であり、その規模の大きさから陸海軍が共に大規模な救助活動を行っています。このような大規模な災害派遣は後にも先にも関東大震災しかないので、このテーマで作品を作ろうと思いました。



地震発生

オープニングの映像は海底のプレートを意識しました(わかりづらい)。

そこから衛星写真に移りますが、ここでは地震の起きた大体の場所を表しました(震源地は諸説あるのでざっくりと)。そして円の広がりで揺れの広がりを表現しました(特に小さい円の方は揺れが強かった所)。


次に建物の映像が出てきますが、これは中央気象台で、今で言うところの気象庁です。 あえて時計を映したのは、中央気象台の大時計が地震の発生した11時58分で止まったという実際の出来事を表現したかったからです。


関東大震災1
関東大震災2
関東大震災3
関東大震災4

地震による被害

ここではごくごく一部ですが、特に表現したかった地震による被害を表現しました。



【火元】

かまどの部分は、後の大火災の原因の一つである火元を意識して描きました。地震が発生した時はちょうどお昼時というのもあって、火がついたまま建物が倒壊し、火災になるという事例が発生しています。

またここでは描いていませんが、もう一つ大きな火元は薬品による発火です。関東大震災では各種学校や、試験所、研究所、製造所、工場、病院などから火災が発生しています。



【建物の倒壊】

マグニチュード7.9ということもあって、地震の揺れによる建物の被害も非常に大きいものでした。数字的には全壊が神奈川県46,621、東京府11,842、千葉県13,444と神奈川県の数値がもっとも高く、次いで千葉県が高くなっています。なので、地震の揺れだけを考えると神奈川県と千葉県(南部)の方が震源地に近いため強かったりします。



【津波】

関東大震災では津波も発生しています。場所は主に神奈川県、千葉県、静岡県ですが、地震後約5分程で津波が来たようです。被害はでましたが、一方で最小限にとどめられたという見方もあり、これは、過去の災害教訓が伝承されていた事によるものとされています。やっぱり過去の経験を参考にするのは大事なんですねぇ…。



【都市機能の喪失】

地震発生後は電気・ガス・水道は止まり、鉄道も不通になり、また電信・電話も使えなくなるなど都市機能が喪失しました。大都市でこうなってしまうと、もうパニックですよねぇ…ということで、ここでは超絶にヤバイ状態になってしまったことを表現したかったのであります。

関東大震災5
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軍隊の初動

【非常警備ニ関スル命令】

超絶ヤバイ状態になった所からの軍隊ですよ!!!ということで、ここでは地震発生後、早い段階で陸軍が「非常警備ニ関スル命令」を発令した事を表現しました。

具体的には在京師団である近衛・第一両師団の担任区域※を指定し、警備に当たらせるとともに、特に皇居、官邸、諸官庁、大使館、刑務所などに兵力を配置し、火災で危険な所に救護隊を派遣しました。

※境界線を甲武線-新宿-四谷見附-赤坂見附-虎ノ門-日比谷公園-憲兵司令部-永代橋-両国橋-両国停車場-総武本線のラインに設定し、北部(線路上を含む)を近衛師団、南部を第一師団に担当させる

ちなみに東京方面の警備担当のトップは東京衛戍司令官であり、この時の司令官は近衛師団長でしたが、地震発生時は秋季演習を控えた検閲のため千葉の下志津演習場へ出張していました。なので代わりに第一師団長が東京衛戍司令官代理となり発令しました。(その後かなりヤバイ状態になっているらしい!ということで近衛師団長もどうにかこうにかして戻ります)



【補助憲兵】

補助憲兵のシーンは、近衛・第一師団の将兵300名を補助憲兵※として憲兵司令部へ派遣したという出来事を表現しました。

※この頃の補助憲兵は『乗馬兵科の者』と、乗馬ができることを前提としており、主に騎兵と輜重兵から選出されている。

憲兵は昔の資料では「官憲」と警察官とセットで表現される事が多いのですが、震災で混乱し、治安も悪くなる中、こうした人たちがいると安心できますよね。

そしてここで憲兵腕章についてひとつ。この時はまだあの有名な憲兵腕章は無かったりします(補助憲兵は左腕に赤布をつける)。

でもー。震災のあとすぐに「憲兵」って書いてある腕章が制定されているんですよねえ。てことは!あの憲兵腕章は関東大震災がきっかけだったのではないでしょうか!震災で一般の人に接する機会が多くなったのでわかりやすくとか。この説、いい線いっていると思いますがいかがでしょう!

と、憲兵語りが多くなりましたが、このほかにも動画では描けていませんが、司令部が自動車隊に出動を命じて師団司令部や陸軍省の直轄とし、部隊輸送や消火活動、被災者の救助に活用したという話もあります。

あと!今回の陸軍の軍服は色がなんか明るい!?ビコーズ改45式だからです。



【海軍】

海のシーンは海軍(海軍省)の方針を表しました。
海軍においては、海軍大臣が地震発生2時間後に参内して摂政宮に震災の状況を報告し、その後臨時閣議に出席、海軍省は海軍の全力を挙げて救護に当たる方針を決定したという流れになっています。


関東大震災10
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もう少し詳しく

地震発生直後、在京部隊は兵営周辺の警備や救護活動を行いました。地震によって通信網が途絶えたため、組織的に動く事は難しく、各々の部隊の指揮官の裁量で行動していたようです。

避難民

ここは一般の市民が避難する様子を描きました。



【家財道具!】

特に描きたかったのは家財道具です。これにより火災が広がり、被害が大きくなりました。

関東大震災では多くの橋が燃えていますが、このような家財道具を持ち込んで通ろうとした所、荷物に引火して通行人もろとも燃えながら落ちていきました。一部警察官が荷物を持ち込まずに通るように強制した橋は、崩落せずに生き残ったというエピソードも残っています。

【すし詰め!】

映像で描いたようにこうした避難民と家財道具ですし詰め状態は当時いろんな所で発生しています。ここでは特に陸軍被服廠跡地をイメージしています。のちにもう一度この場所が出てくるので伏線です。


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陸軍の対応

陸軍の行動は、すでに「非常警備ニ関スル命令」で色々と動いているんですが、ここではその中でも大事な部分をチョイスして出しました。


【通信】

まず歩兵のセリフの部分は、通信に関してです。ここでは震災によって通信手段が破壊されてしまったので、司令部が重要施設・兵営間の電信・電話網の構築のため中野の電信第一連隊に出動を命じたという出来事がもとになっています。

実際の作業では電信連隊の到着までは近衛歩兵第二、第三連隊の通信班がこの業務を担って、1日目には陸軍省と皇居、赤坂離宮、首相官邸、内相官邸、警視庁、東京市役所、近衛師団司令部、第一師団司令部、憲兵司令部の間に軍用電話を架設しました。 そして2日目には電信連隊によって陸軍省と海軍省、大蔵省、農商務省、逓信省、鉄道省、外務省などを結び、また東京市役所と各区役所の間にも連絡網を構築しました。

すごいですよね!これで各重要施設が連携できるようになるんですよ…。頼もしい!!あと、まぁなんていうかわからなくもないですが海軍省は2日目かーいって思わずつっこみたくなります。

ただ厳密にいうと、被災している省庁はちょこちょこ移転しているので、3日以降も再度繋ぐっていう事もあります。例えば逓信省ははじめ浜離宮が仮事務所でしたが、その後東京中央郵便局内に移転していて、その都度電信隊は軍用電話を架設しています。

っていうか!これは9月3日の出来事なんですが、午前3時に電信隊が浜離宮に軍用電話を架設したんですが、その後逓信省は午前7時に東京中央郵便局内に移転し、夜にまた陸軍省と軍用電話が開通したっていう話で…。つまりせっかく浜離宮に架設したのに4時間後に移転しとるやないかーい!!(午前7時に完了とあるのでその前から移るねってしとるね)…いやー…電信隊…ご苦労様…。



【食料】

次の輜重さんの所は食料についてです。今でもそうですが、災害が発生すると、食料の配給がとても大きな課題になると思います。関東大震災は地震発生時間が11時58分ということで、昼食をとれていない被災者も多く、食糧支援が急務となりました。

もちろんこれは基本的に市区町村がやるんですが、量が足らないんですよね。なので、軍は市や区役所の要請に協力して軍隊用の備蓄食料を融通しました。ただ肝心の糧秣本廠が燃えてしまうという悲運があり、在京部隊の食料を開放したというのが動画で表現している所です。また食料の他にもテントや炊飯道具も要請を受けて貸したりしてます。軍隊万能すぎる。

さらに食料も在京部隊だけでは足りないので、大阪、宇品の糧秣支廠、ならびに第二、第三、第七、第十二、第十五の各師団、朝鮮軍、関東軍より糧秣を東京に急送させ、かつ糧秣収集班を組織して糧食の収集に着手しました。スキィ!!!!!


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火災

関東大震災というと真っ先に思い浮かべるのが火災だと思います。ここでは火災による被害が拡大したことを表現するために二つの火災現場を描きました。



【陸軍被服廠跡】

一つ目は関東大震災で起きた火災の中でも、一番有名で被害が大きかった陸軍被服廠跡での火災です。

この場所は被服廠移転後、公園などを建設する予定の更地でした。面積は10.3ヘクタールで地図で見ると三角形のような形をしています。避難民の所で描きましたが、地震発生後、この場所は4万人にのぼる避難者とその避難者がもちこんだ大量の家財道具ですし詰め状態になりました。

そこに午後4時頃、三方から同時に火が迫り、さらには火の竜巻とも言うべき火災旋風が発生しました。これにより約3万8千人もの人々が短時間で亡くなるという悲劇が起きました。



【警視庁】

二つ目は関東大震災関係の本でよく登場する?警視庁の炎上シーンです。

関東大震災の怖さの一つは政府・中央官庁が被災したことにあります。ここでは警視庁だけしか描いていませんが、他にも内務省をはじめ、大蔵省、文部省、逓信省、鉄道省、農商務省では本庁舎が焼失しました。

今の時代にやんわり変換すると、総務省、警視庁、国土交通省、厚生労働省、財務省、文部科学省、農林水産省、経済産業省などが全部焼失するなんてことになります。

日本どうなっちゃうの!?って思いますが、当時焼け出されてしまった人たちは場所を変えてなんとかしようと奔走していました。 一例をあげると災害対策の中心となる内務省の官僚たちは、内相官邸に移動し飛んでくる火の粉と格闘しながら徹夜で対策を協議していたそうです。

あと…話はちょっと飛びますが…、私の動画…警視庁登場率高くない?


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もう少し詳しく

ここでは余談になりますが!焼失した官庁の臨時移転先をご紹介。それぞれ関連施設に移転するのですが、その場所にグッとくるものがあるのです。
個人体に好きな移転先はこちら(ヲイ)

文部省→大塚高等師範学校(学校っていうのがね!)
大蔵省→丸ノ内日本興業銀行(銀行銀行…)
逓信省→東京中央郵便局(郵便局キター!)
鉄道省→東京駅前(駅ぅぃぃぃぃ!)
電気局→参謀本部前(戒厳司令部から電気について催促されそうな居心地の悪さに応援したくなる←勝手な妄想)

兵力増強

【近隣の部隊を招致】

関東大震災は夕方以降に火災が猛威を振るったことで事態が超絶に深刻になりました。そして当日の午後の6時台には政府の責任で臨機に軍隊を出動させる方針が決定。ただこれには戒厳令の施行は伴っていません、この頃はそれでもまだ戒厳令までは必要ないという判断でした。

そして午後9時、陸軍大臣は参謀総長と協議した結果、隣県駐屯の近衛・第一師団所属部隊と陸軍各種学校の招致を決定しました。まぁこれも縦割りというか管轄の問題でスムーズに行かない部分もあったりするんですが…もどかしい!



【航空部隊】

新たな部隊招集には航空部隊もありました。道路の断絶などで業務に支障が出たため、東京近郊の航空隊に対し連絡や命令の伝達、情報の交換、被災地の偵察業務に従事するよう要請しています。この航空部隊は新たなスター誕生の瞬間級に鮮烈な活躍をしていくことになります。

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海軍の対応

お待たせいたしましたー!!海軍ターンです!!てことで、ここでは海軍の被災と、救護活動の指示について描きました。

まず、築地の海軍施設群ですが、ここは地震発生直後、一部の倉庫に火災が発生したものの、職員たちの消火活動により鎮火していました。しかし夕方以降、市域の火災の広がりにより、敷地内に避難民が押し寄せるとその避難民が持ち込んだ荷物に火が移り、夜には施設群が燃えてしまいました。そして翌2日の午前2時には火薬庫が爆発し、施設群はその大部分を焼失してしまいます。動画ではこの爆発の部分を表現しました。

しかしなんというか…、あれですね…せっかく一度鎮火しているのに、避難民を受け入れたら火災に巻き込まれたというなんともやるせない話…。しかもここには海軍の通信機器があったのですが、この出来事によって失ってしまいます。

そのためこの後は千葉県にある船橋送信所(海軍無線電信所船橋送信所)を利用し情報を発信せざるを得なくなりました。 でも築地と船橋って距離あるでしょ…ってなりますが、これがはじめの方は徒歩連絡で情報を伝えていたっていうなんともアナログな話です…。



で、発信された情報は動画内でも書いていますがもう少し詳しくするとこんな感じです。

まず呉、佐世保鎮守府長官、舞鶴、大湊要港部司令官に対して、艦船の派遣および糧食救護材料の輸送、ならびに海外発航予定の艦船の行動を中止して東京方面の救護任務につくようにと指示。

そして旅順方面で検閲(こっちも時期的に陸軍同様恒例行事)をしていた連合艦隊に対しては即時内地に帰還し、警備ならびに糧食輸送に従事するように命令しました。

ちなみに!呉鎮守府に対しては大阪陸軍糧秣廠発送の糧秣を輸送するようにっていう命令が出ててニヨニヨします。



次に陸戦隊の描写ですが、陸戦隊はいち早く横浜の治安維持のため派遣されています。

横浜の警備については、陸軍もその後神奈川県知事の出動要請に応じて歩兵1個中隊と騎兵隊を横浜に派遣しており、それを皮切りに、神奈川方面にも部隊を展開させました。そして陸軍部隊の担当区域を整理し、既存の東京北部、南部に加え、神奈川や小田原にも方面警備隊を設置しています。

ちなみに!横浜へは陸戦隊が先に入ったわけですが、指揮権はどうするの?っていう話で海軍の資料では先に入った海軍部隊の方が指揮権がある的な内容を見ました(そういう所がね…ね…)。でも結局陸軍もきちんと担当区域を指定してやってるので実際はどうなったんでしょうね?(放置)



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もう少し詳しく

築地の通信機器ですが逓信省の資料には「午後3時、海軍と交渉し、築地技術研究所の無線電話の使用を求めて中央電信局員ら3名派遣も研究所火災により浜離宮に帰着。」っていう記述があります。なので、午後3時あたりはもうヤバい感じになっているみたいですね。

あと逓信省が浜離宮から移動した件。この原因は一連の築地の火災なのかなあと思ってます。浜離宮は築地にめちゃ近いので、午前2時の爆破も絶対近かったはず。てかその一時間後に電信隊が浜離宮に電話を架設…壮絶すぎるやないかーい。

もう少し詳しく その2!

海軍の重要拠点である横須賀について!

本当は横須賀シーンも入れたかったんですが、尺が足りず、また範囲が広がってまとまらなくなるので今回は省きました。ただ横須賀では海軍も相当被災しているのでざっくりと記載したいと思います。

まず横須賀は震源地が近いこともあり、横須賀鎮守府(大破)、海軍工廠(半数 倒壊)、砲術学校(倒壊)、水雷学校(半数破損)、機関学校(全焼)、海兵団(新兵舎全焼)、海軍病院(全焼)、航空隊(飛行機の大部分破損)など大きな被害を受けました。

また工廠ドックでは建設中の潜水艇は大破し、空母に改造中の天城も大きな損傷を受けました。さらに重油8万トンを貯蔵している重油槽も破損し重油が流出、たちまち火が移り海面一面が火の海に。停泊中の各艦船は急遽脱出する事態となりました。

という感じで被災しまくっているわけですが、それと同時の救護活動にも尽力しています。頼もしい…。活動は横須賀鎮守府を筆頭に東京湾要塞司令部、横須賀重砲兵連隊、横須賀憲兵分隊らも協力しました。またのちに戒厳令が発布されるんですが、横須賀市および三浦郡においては横須賀鎮守府司令長官が戒厳司令官となり救護部隊はその指揮下に入りました。

上空から

ここでは要請を受けた航空部隊と火災の被害を受けた都市の様子を描きました。

【航空部隊】
ここで登場した航空機は陸軍の乙式一型偵察機で、機体の番号は216。この機は実際に大阪の第四師団へ災害の報告と救援要請するために飛び立っていることから、それを再現するような形で描きました。

【私は生まれ落ちた】
ここでは上空から引いた映像で、都市が大きな被害にあっていることを表現しました。 これにはこだわりがあって、ここの部分は歌詞を強く意識しました。 私が見た関東大震災の復興について書かれた本の中に「都市の再生は破壊と同時に生まれる」というような事が書いてあって、それがすごく印象に残り、歌詞の中の『私は生まれ落ちた』という部分と重ねたいと思いました。

なのでここでいう『私』は復興後の都市を指しています。

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戒厳令

2日午前9時、臨時閣議において、非常徴発令、臨時震災救護事務局官制、戒厳令※の公布が決定しました。 ※緊急勅令によって戒厳令の第9条と第14条の規定を適用

戒厳令が出て、更に戒厳地域が拡張したことによって、司令部は更に部隊を招致することになりました。 具体的には第二、第八、第九師団の歩兵各二連隊、第五師団の電信第二連隊、第十五師団の野戦重砲兵一連隊および内地師団の衛生機関、いまだ招致していなかった内地全師団の工兵隊に対して出動を命じました。

映像では戒厳司令部が設置された陸軍参謀本部を映しました。

その上を鳥が飛んでいるんですが、これは軍用鳩をイメージしています。 軍用鳩は災害の状況報告や救援などの連絡手段としてめちゃめちゃ活躍していて、ここでは地方の部隊と繋ぐというような意味で表現しました。

ちなみに当時活動していた鳩の数は確認できた数字でおよそ400羽、9月7日までに取り扱った通信数は500通に達したとのこと。鳩スゴイ。今だったらドローンが代わりにならないかなーと思ったりする…。

その後の映像は出動を命じられた各地の部隊が東京へ向かう様子です。この他にも船で来るっていうのもありました。そういえばある部隊では緊急性が高いから全員乗馬で向かう!っていうのもあったりして胸熱です。いずれにしても急いで現地へ向かう!っていう気持ちが見えて感動するのですよ…うるうる。

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連合艦隊

ここは何度も(大佐を)撮りなおした場所です。 やっぱり軍艦はテンションあがりますね!ということで、連合艦隊旗艦の長門に登場していただきました!(長門はちゃんとこの年仕様にしたんですよおおおお!)

で!連合艦隊の行動は2日午後6時、山東半島沖の裏長山列島を発し途中糧食、救護材料を搭載して東京湾に急行しました。旗艦の長門は5日に着き、司令部を海軍省内において集合している全艦船を指揮し震災救護にあたっています。

ちなみに!艦隊の引きの映像の部分ですが、ここは救援活動に参加した米軍の水雷母艦ブラックホークから撮った救護活動中の長門たちの写真を参考にしています。

てか、そんな写真が残っていること自体驚きなんですが…関東大震災の時もトモダチ作戦?があったっていうのも驚きです!アメリカは救援物資も非常に多く、派遣した艦船は計17隻にものぼりました。すごい。またそのほかにもイギリス、フランス、イタリアなどの艦艇が派遣され、また義援金や救援物資をくれたりしてます。何気に張作霖からも義援金が来ているという。

海外の艦船については海軍と外務省が相談して調整し、監視を海軍が行っていました。駆逐艦が海外の艦船に張り付いて見張るっていう感じです。救援はありがたいけどこっちの情報を探られるんじゃないかって心配もありますからねえ…。ただその警戒が強すぎてロシアの艦船追い返してしまいましたが。

てことでちょっと話はずれましたが、関東大震災の海軍系の資料を見ると、海外艦船の活動記録も載ってたりしておおーすげー(小並)って思うのと、この後に日中やら日米開戦になるのでなんだかなぁ…って思ったりしました。

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もう少し詳しく

主に第二艦隊が東京方面、第三戦隊が横浜の糧食救護材料を輸送、陸揚し、第二水雷戦隊などが房総半島、伊豆諸島沿岸地方の災害調査や糧食供給、救護に従事。またそのほかの艦船も避難民の輸送、警備など不眠不休の活動を行いました。

救援物資について

ここは各地から続々と到着する救援物資の役割決めについてです。

3日、救援物資到着後の配給に関して臨時震災救護事務局と各関係機関との間で協定が結ばれ、海軍は海上輸送から陸揚げ作業を、陸軍は揚陸地点から東京府・市が希望する分配所までの運搬を担うことになりました。



ここでちょっと『臨時震災救護事務局』についてざっくりと…。 関東大震災におけるメインの救護体制は、内務省を中心とした『臨時震災救護事務局』(総裁には内閣総理大臣、副総裁には内務大臣)です。 臨時震災救護事務局には、総務部、食糧部、収容設備部、諸材料部、交通部、飲料水部、衛生医療部、警備部、情報部、義捐金部、会計経理部の11部が置かれており、省庁をまたいだ連絡や調整をできる仕組みになっていました。 この中で陸海軍については、治安の維持を警察と協力して行うように方針が出ています。

戒厳司令部との関係ですが、治安維持は戒厳司令官、救護事務は内務大臣の責任で行うことになっており(救護については戒厳司令部が援助する形)、つまり治安は軍隊!救護は内務省中心で!っていう感じです(雑)。

また戒厳司令官は警備活動においても軍隊による直接的な威力を避け、警察官や憲兵を支援する立場に努めたとのことで、かなり行動がイケメン。まぁ命令が行き届いてなくてトラブってはいたようですが。

ちなみに、これまで何度も内務省って出していますが、内務省は地方行政・警察・消防・神社・土木・都市計画・衛生・社会政策など内政一般を掌っているすごい所です(小並)。

また、他にも陸海軍においてそれぞれ内部で救護委員会を作っています。 海軍は9月3日に海軍省内に海軍震災救護委員会を設置、陸軍は11日に陸軍省内に陸軍震災救護委員会を設置し戒厳司令部から救護機能を分離しました。

なんか…震災救護委員会と名称が同じなのが何気に珍しいって思えてしまうね!てか陸軍が先につけた名前に対して海軍は同じのはつけねえ!みたいな所がありますけど、陸軍が後発の場合普通にそのままつけているような気がしてます。

あと、動画内の陸と海ですが、微妙な距離感なのは微妙な距離感だからです!(ヲイ) それでも色々な場面で顔を合わせたり、話し合わなくてはいけないので、まぁそれぞれ思う所はあるけれど、なんかよそよそしい感じもあったりなかったり(どっち)。まぁお前ら…(ため息)って感じです。

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それぞれの航空隊

映像の場所は代々木練兵場で、ここは臨時の飛行場として使われました。 基本的に陸軍の施設なので、陸軍航空隊が使っていましたが、記録を見るとこの時、海軍の航空隊も使っていていたんですよおお!!それで、ここで飛行と航空が顔を合わせているとすごくいい…!となりましてあのような映像になりました。

ちなみに航空が乗っている機体はイギリス、アブロ社のアブロ504Kのライセンス生産であるアブロ式練習機です(ぼかぁこれも作ったんだおおおー!)。

機体に明確な所属を書いていませんが、ここでは霞ヶ浦航空隊をイメージしています。代々木練兵場-横須賀間の連絡・写真撮影は霞ヶ浦航空隊のアブロ機だったので。横須賀航空隊と迷ったんですが、横須賀の場合この時使っていた機体が水上偵察機で定期飛行も芝浦-横須賀間だったので、飛行と会わせることを優先して霞ヶ浦航空隊にしました☆

まぁでもその割には航空のキメ顔に飛行が全く反応していませんが☆

あと、個人的にニヨったポイントなんですが、いずれの航空隊も上空から写真を撮っているんですが、それぞれ特徴があって面白いんですよ。飛行は地図かよっていう位上からまっすぐ垂直に撮っている写真が多くて、航空は斜めから撮るっていうね!

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芝浦から

当時芝浦は船からの救援物資が集められ、関連組織の出張所ができるなど一大拠点でした。

まず揚陸については、海軍めちゃめちゃ頑張ってます! はじめは揚陸施設が6日に完成するも、船と人手が足りない状況でなかなか進みませんでしたが、海軍の努力で解消するっていう展開に!更には頑張りすぎて?むしろ陸上輸送する陸軍が追いつかず、『陸軍遅い』と文句を言うまでがセットになっています。



ただそう言われてもー交通のインフラも復旧中ですしー…。陸軍では9月6日から配給司令部を田畑、新宿、亀戸、芝浦の各所に設置して配給事務を開始したり、府・市と協力して配給の任にあたったのですよう。

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関東大震災52

摂政宮視察

ここでは摂政宮が被災地を視察された出来事を表現しました。
摂政宮とはのちの昭和天皇です。

視察は9月15日、18日、10月10日の3回で、1回目と2回目は東京、3回目は横浜、横須賀方面で行われました。2回目は下町方面の焼け跡を視察されており、火災旋風が発生した陸軍被服廠跡にも立ち寄られています。

動画は東京での視察をイメージしました。東京での視察は主に乗馬で行われていたので、海にも馬に乗ってもらいました。(こんな感じで海軍軍人が馬にのってる写真はちょこちょこ見ます)

ちなみに今回の海軍の軍服は、海は第一種、大佐は第二種です。震災時は基本的に第二種かなあと思う※のですが、摂政宮が東京を視察した日付は冬服に切替前なんですが、当時の写真を見ると、第一種を着ているので、海は第一種のままにしました。

※9月4日に、「本年、東京における海軍軍人の第二種軍装を用いる期限は9月20日まで」と通牒がでている。適宜切り替えしてね?的な感じ?

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被害

ここでは火災後の状況と被害の数字を具体的に出してその規模の大きさを表しました。

現在でも関東大震災の写真は結構残っているんですが、本当に被害がひどいところは焼け野原です。 もちろん東京もひどいんですが、横浜は本当に広範囲に焼き尽くされていたりします。

詳細な数字については当時の資料にたくさん載っているんですが膨大なので、ここは省きます~。 とりあえずとにかくヤバすぎるっていうことだけ感じていただけたらと!(雑)

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関東大震災57

工兵

ここからの工兵の映像はスーパー工兵タイム!ということで、若干長めになっています。というのも、災害時の工兵隊の活動は本当にすごいからです!(小並)

動画は一時停止必須になりますが具体的な数字をあげたのは、どの程度すごかったのかっていうのを伝えたかったからです。

またここでは工兵しか表現できていませんが、同じ技術兵として電信・鉄道隊も活躍しました。これまでもちょくちょく出てきている中野の電信第一連隊においては諸官庁、戒厳司令部直轄部隊相互の通信連絡網450kmを構築し、開設した通信所は電信2、電話158個、移動無線の運用も行いました。また電信第二連隊をも広島から招致し復旧作業に従事させました。鉄道に関しても、千葉の鉄道第一・第二連隊によって主要鉄道の復旧が行われました。

当時毎日出されていた戒厳司令部情報には簡潔ながらも細かく日々の情報が載っているのですが、どんどん復旧していく技術兵の活動は惚れるレベルのかっこよさがあります。

例えば9月17日の交通情報の所には 「厩橋は14日工兵第二大隊の作業により、また海辺橋は15日工兵第十三大隊の作業によりて補修完成し、ともに自動車を通するに至り、浅草、本所、深川、永代橋、日本橋を通する環状道路完成せり」 とこんな感じで書かれており、想像滾って胸がときめきます。



【建築物の残骸の撤去】

工兵隊は爆破作業もやります!!
建築物の残骸の撤去は帝都復興の第一歩といえるもので、こうした重要な作業も工兵隊はやったんだぞ!っていうのをアピールしたかったので、爆破シーンを盛り込みました。

動画で爆破した建物は浅草の名所・凌雲閣です。非常に有名な建物なので、関東大震災関係の資料ではよく出てきますが、この爆破作業を行ったのは工兵隊です。凌雲閣は震災により被害を受け、崩壊によって市民に二次災害が発生する危険性があったため、工兵隊が爆破作業を引き受けました。

この爆破は9月23日、緻密な計算や安全性を考慮して実行されました。 (ただ一度の爆破では完全に壊す事が出来なかったので二度爆破しています。動画内の爆破シーンは一度目を表現しているので、一部が残ってたりします)

関東大震災58
関東大震災59
関東大震災60
関東大震災61
関東大震災62

衛生機関

地震発生直後、衛生材料廠が燃えて6棟中5棟が焼失し、医薬品や機材の多くを失ってしまうなど、衛生機関自体が被災していました。

その中でも第一、第二衛戍病院から救護班を編成して応急救護にあたったり、在京部隊や千葉の衛戍病院でも独断で救護班を派遣し、各地で救護活動を開始しています。その後、災害の規模が大きすぎるため内地の各師団より衛生機関を招致しました。

また救療の他にも、陸軍軍医学校では水質検査や菌検査など防疫業務にも尽力してたりします。

関東大震災における衛生機関の活動は、9月下旬には、業務を赤十字などに引き継ぎ9月末には業務を終了。一部東京第一第二衛戍病院は収容患者の診療を続けました。

関東大震災63
関東大震災64

憲兵隊

震災時の憲兵は地震直後から迅速に行動し、さらに2日~3日にかけて地方からの応援の憲兵隊が東京に集結すると、各所に分駐所を開設し避難民の救護や焼け跡の警戒にあたりました。(実際に銀行の金庫破りを捕まえている)

混沌とした被災地では憲兵の存在はとても心強いもので、各官庁、大企業、地方自治体から憲兵の常駐依頼の申請が数多く出されるほど。(ただ憲兵の数も多くはないので、分遣所や分駐所を増やし、絶え間なく市内を巡察することでその要望にこたえる形になる)

被災地では治安維持に寝食を忘れ、少ない人員でも効率的な運用で職務を遂行していたという当時の憲兵の姿は胸にくるものがあります。

当初、憲兵司令部・憲兵隊本部も焼失した内務省・大蔵省と隣接していたため危うく被災する危険がありました。しかし、憲兵自身の必死の消火活動で延焼をまぬがれています。その結果その後の憲兵活動を円滑に進めることができたのは不幸中の幸いと言えるのかなと思っています。

戒厳令は11月16日に解除されますが、憲兵隊の活動はその後も続き、警察と共に災害地の治安をゆだねられました。大正13年7月26日になってやっと臨時憲兵隊が廃止され、同日より憲兵は平常勤務となります。軍の中では憲兵が一番長く対応に当たっていたわけですが、その職務の特殊さを改めて考えさせられました(まじめ)。

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海軍

ここは海軍のまとめ的な感じです。具体的なものは多岐にわたるので書ききれませんが、おおまかに言うと動画内の説明になります。

活動の推移としては、海上および陸上の交通が復活したことにより9月20日には避難民の輸送を終了し、物資と秩序の回復を見て9月22日に芝浦方面、9月27日には横浜方面の海上輸送、陸上作業を打ち切りました。その後は11月6日まで海軍は海上警備および公務一般の任務に当たっています。

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海軍

まとめその2。

ここでは海軍がどれだけの規模で活動を行っていたかを伝えるために具体的な数字を表記しました。より細かく書くと、軍艦45隻、特務艦21隻、駆逐艦63隻、そのほか20隻、合計150隻です(人員は約3万人)です。動画にも書いていますが遣外艦艇を除き実働可能な主力艦艇のほとんどすべてを投入したという胸熱な状況で、惚れてしまうかっこよさです(何度目)。

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陸軍

こちらは陸軍のまとめです。

関東大震災での陸軍は本当に多岐に渡り活動していて、軍隊のマイナスイメージをプラスに変える活躍をしています。

動画内では、様々な部隊が参加したという事を表現するために、ヒーローもののオープニングムービーなみにそれぞれのキャラを登場させました。

また、映像ではあんまりわからないと思いますが、ここで使っている背景は「関東戒厳地域内警備部隊配置要図」というもので、これは9月10日時点のものですが、どの部隊がどこに配置されていたかが記されているものです。これも併せてみていただくとめちゃいっぱいいるーーーー!って感動間違いなし(雑)。

ただ軍隊符号(部隊の名称を簡略化したもの)で書かれているので何のこっちゃですが…。まぁでもこれがわかるとム〇カばりに「読める!読めるぞ!」※となり楽しいです。

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もう少し詳しく

ム〇カになりたい人へ!地図上の軍隊符号を変換するとこんな感じです。

例えば東京南部警備部隊の一行目
1D(1i.3i.2KB(-15K).3SAB.1P.1T.1DS)

→第一師団(歩兵第一連隊、歩兵第三連隊、騎兵第二旅団(騎兵第十五連隊を除く)、野戦重砲兵第三旅団、工兵第一大隊、輜重第一大隊、第一師団衛生隊)
第一師団以下の大きいカッコは第一師団の隷下部隊という意味。ね、ム〇カになった感じするでしょ?

その後…

ここは震災からすこし時間がたった都市の様子を表現しました。大体昭和5年位をイメージしています。

飛行が乗っている機体は1928年(昭和3年)に制定された八八式偵察機に変更し、また着ている航空服などもその頃のものにしています。これで時代が移り変わった事をなんとなく感じていただけたらと思いました。一応飛行のメインビジュアルとはまたちょっと違うので、震災後なんだろうけど、太平洋戦争まではいっていない的なこだわりもあります。

で!復興についてですが、この頃には復興写真集が出ていたりと、復興を祝うようなムードがあります。震災は不幸な出来事ではあるんですが、半面、壊滅した事で逆に近代的な新しいまちづくりが出来たことにもなります。

その後、また戦争で焼け野原になってはしまうんですが、その都度復活している様を見ると本当に人間の打たれ強さ、力強さみたいなものを感じて、なにか悟ったような心境になります。

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言わせてくれ!!

一通り動画の解説は終わりましたが、私なりに思う所を書きます!

今回、関東大震災を扱うにあたり色々と情報収集をしたのですが、一般的に売られている本や簡単に紹介されているような情報源には軍隊の救援活動に関する記載が少ないと感じました。

ここに救援活動と書いたのはそのほかのことなら書いてあるという意味で、つまり軍隊のマイナスイメージについては書いてある場合が多いです。一番大きく取り上げられているのは関東大震災と憲兵といえば必ず出てくる「甘粕事件」、そのほかにも騎兵による「亀戸事件」というのもあります。これらについて詳しく書きませんが(探せばすぐ出てくると思うので)、こうした事件だけをもって軍隊を批判されるのはものすごく私は嫌です。

そしてもう一つ、これもよく出てくるのですが、流言・デマの広がりと朝鮮人殺害についてです。混沌とした被災地からわきあがった話が、真偽のわからないまま不安だけがつのって、被災者の間でまたたくまに大きく広がっていった状況下。これについては軍が共犯かのように書かれているものがありますが、私は反対です。流言が出始めた当初は確かに軍隊も真偽がわからず振り回された感はありますが、その後デマだとわかると取り締まりや朝鮮人の保護をしています。(デマの一つに井戸に毒が、とかパンに毒がとありますが、これも陸軍の衛生部門が調べて毒はないと結果を出している)

特に市民が自主的に行っていた自警団に対しては憲兵、警察の許可なく武器を持つことを禁止し、通行人に対する誰何、検問も憲兵と警察官に限りできるよう戒厳司令官から命令がでています。また9月20日の戒厳司令部の情報には、その時点で3075名の朝鮮人を習志野で保護し、希望者には職を紹介するという内容もあります。

こうした状況を見ると軍隊はその時その時、できる限り力を尽くしていると私は感じました。 当時でも悪い所をあえて取り上げて軍隊を批判する人はいますし、現代ではその後の歴史を通して色眼鏡でみてしまう傾向にあると思いますが、純粋に軍隊の活動内容を調べてみるとそこには一人一人が必死に救済活動をしている姿が浮かびます。なので私は少しでも軍隊が頑張っていた事実が広がればという気持ちでいっぱいです。


最後に今回関東大震災というテーマをとりあげましたが、温故知新みがすごかったというのが私の感想です。上記文章はちょっと私の記録用的な所もあってわかりづらい所も多々あると思いますが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!