昭和維新 - 二・二六 - +IDの動画解説

2月26日に合わせて、二・二六事件をテーマにした動画を作りました。動画時間は約三分半と非常に短いので、分かりづらい部分も多かったと思います。以下ざっくりですが動画解説と補足をしていきたいと思います。

あくまでも私の調べた範囲や、考えです!またかなり色々と省いています!というのもこの大事件の原因や結果は、詳細に書けば複雑かつ膨大で、まとめきれません。ですので、詳しく知りたい方はぜひ関連書籍を読んでみてくださいね☆




二・二六事件をテーマにした理由


以前から「二・二六事件」における陸・海・大佐の三人の状況を表現してみたいと思っていました。そして今回使用した曲に出会い作る事にしたのですが、作るにあたり色々な本を読むと、「二・二六事件」自体が日本の大きな転換期の一つではなかろうかと考えるようになりました。また、一般的に知られている「二・二六事件」はどこかテンプレート的で、本を読み進めてから知る内容と違うように感じてきました。

ですので、自分なりに新しい「二・二六事件」史観を作り、また日本に大きな影響を与えた「二・二六事件」に触れる機会を作りたいという思いで今回のような作品を作るにいたりました。



「二・二六事件」とは


「二・二六事件」は1936年(昭和11年)2月26日に起こった、昭和最大のクーデター事件です。 青年将校達が、第一師団歩兵第一、第三連隊、近衛師団歩兵第三連隊を中心とした総勢約1500名の下士官兵を率いて蹶起(けっき)し、閣僚・重臣らを襲撃、東京の中心を占拠しましたが、4日後の29日に鎮圧されました。



青年将校運動と昭和維新


「二・二六事件」を起こしたのはみな青年将校と呼ばれる若い将校達でした。
彼らは当時の社会に矛盾を感じ、現状を変える為に国家改造を目指していました。

こうした若い将校による動きは「青年将校運動」と呼ばれ、大体昭和5年ごろから始まります。 当時の日本は相次ぐ恐慌に苦しんでおり、特に農村の疲弊は想像を絶するものでした。 しかしそんな中でも、政治は汚職にまみれ、財閥は富み、軍の上層部は派閥争いをする等、庶民の生活を省みない現状で、若い将校達は憤りを感じます。

そして国家の危機を感じた彼らは、これらの特権階級を倒し、軍部による天皇親政の新しい政府、国家を目指す「昭和維新」を起こそうとしたのです。



軍閥


陸軍の場合軍閥が色々とありますが、二・ニ六事件においては皇道派と統制派という言葉を耳にするかと思います。(実際統制派はあまり明確としたくくりではないようで、反皇道派的な要素も。)

ざっくり言うと皇道派は日本国体主義で精神的、人情的。一方統制派とくくられる方は、合理的。国家総力戦を見据え、統制経済の色合いが強く、合法的な手段でそれらを実現していくという性格があります。

青年将校達はかねてより皇道派に期待を寄せており、また皇道派将官も青年将校達を利用していた感がありました。



以上のことをふまえて解説を見ていただけると多少分かりやすいかと思います。
また簡潔に表現する為、人名等の固有名詞は省いています。
そして全体的にかなりざっくりした内容ですのであしからず~。

オープニング

昭和初期の深刻な国内情勢を記載しました。先にも書きましたが、相次ぐ恐慌に日本経済は慢性的な不況となります。

中でも大きな被害を受けたのは農村でした。恐慌の影響による物価の下落で農産物の価格が暴落。特に深刻だったのは東北で、6年には冷害による大凶作、8年には大地震、大津波に見舞われました。9年には6年を上回る大凶作で、中には収穫が皆無となる地域もあった程です。

7年には欠食児童が20万にものぼり、飢餓を逃れるために娘の身売りが頻繁に行われる事態も発生しました。弱みに付け込む悪徳業者もはびこり、子供を売っても仲介料、借金の返済で手元にはお金が残らない事もありました。

兵の多くは農村出身である事から、この様な背景が「二・二六事件」が起こる大きな要因となります。

オープニング

青年将校の主張

ここではオープニングで出てきた深刻な国内情勢の中、危機感を抱き、憂う青年将校の様子を描きました。

事件を起こした青年将校の階級は「尉官」でしたが、尉官は直接下士官兵を従えたり、兵の教育係をしたりと、非常に兵達と密接な関係にあります。それゆえ兵達の家庭事情を生で知る事になります。

多くの兵の家族は貧困でした。姉や妹は売りとばされ、また実の息子にもかかわらず、戦死したらお金が出るから死んでこいと言われるなど、不幸な身の上話を涙ながらに語ります。若く純粋な青年将校達は同情し、中には自分の給料を分け与える者もいました。(軍事救護という制度もありましたが、入営にあたり市町村に申請しても一部の人しか恩恵を受けられませんでした)

このような状態でどうして国の為につくせるのか。


また貧困に苦しむ民衆が共産主義へ傾倒する恐れもありました。


青年将校達は国民を苦しめるのは腐敗堕落している政党、財閥、特権階級だと、政府や権力者に対して激しい不満と怒りを募らせていくのです。

青年将校主張
青年将校主張2
青年将校主張3
青年将校主張4
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映像ではネクタイ姿の人物が描かれますが、これは元陸軍の青年将校であった人物を表現しています。この人物も現役時は兵達の現状を憂い、革新運動の一端を担っていましたが、それを快く思わない勢力に陸軍を追われます。

相沢事件公判に対して

相沢事件とは、1935年(昭和10年)8月、統制派の軍務局長が皇道派に通じる将校に殺害された事件です。

この事件の公判過程を機に、新たに維新への思いを強くする若い将校が増え、かねてより活動していた人達と合わせて、青年将校達の動きが活発化していきます。

青年将校主張4

第一師団満州派遣内定

青年将校達が行動を起こす直接的な要因となったのは、第一師団の満州派遣決まったからだと言われています。

満州に派遣されてしまえば、国家革新運動ができなくなります。現状を変えることも出来ず、満州で命を落とすかもしれません。その為、派遣前に行動をおこした事になります。

第一師団満州派遣内定
もう少し詳しく

上でも書きましたが、「二・二六事件」を起こしたのは第一師団の青年将校及び下士官兵です。

行動を起こす蹶起部隊

このシーンは襲撃場所に向かう蹶起部隊を表現しました。第一次襲撃開始時刻は朝の5時。担当部隊はそれぞれ到着時刻に合わせて営門を出発しました。

ここでのこだわりは機関銃を映す事でした。蹶起部隊が軽・重機関銃を有する重装備の部隊であった事を強調したかったからです。

昭和維新

襲撃開始

襲撃シーンを描いています。 蹶起部隊の襲撃場所は以下の通り。

【襲撃場所】
●首相官邸 ●侍従長私邸 ●内大臣私邸 ●蔵相私邸 ●教育総監私邸 ●内務大臣官邸 ●元内大臣宿舎 ●陸軍大臣官邸 ●警視庁 ●陸軍省 ●参謀本部 ●朝日新聞社 ●日本電報通信社 ●国民新聞社 ●報知新聞社 ●東京日日新聞社 ●時事新聞社

映像では首相官邸の描写が多めで、占拠された警視庁、軽機関銃で襲撃している教育総監私邸、燃える元内大臣宿舎などを表現しました。

襲撃開始
襲撃開始
襲撃開始
襲撃開始

蹶起趣意書

青年将校が陸相官邸で陸軍大臣に対し、蹶起趣意書(けっきしゅいしょ)を読み上げている所です。蹶起趣意書には青年将校達が行動を起こした理由が書かれています。

蹶起趣意書

事件発生を知る陸

陸は事件が発生した事を知ります。「やはり…」という言葉のように、すでに陸には事が起こるのではないかという予測が出来ていました。

この予測には、これまで陸自身が、青年将校側をある程度理解し、接していた部分もありますが、他にも第一師団の満州行き内定や彼らに詳しい一部の憲兵からの忠告等もあった為です。

事件発生を知る陸

占拠

青年将校達は重臣を襲撃後、東京の中心部を占拠します。

ここでは青年将校側が陸軍大臣に襲撃状況と占拠部隊の配置や人員等を報告し、自分達の希望事項を伝えています。

青年将校達は一連の行動を機に上層部を動かし、国家改造を行おうとしていました。

占拠
占拠2

内なる葛藤

このシーンは陸の内なる葛藤を描いています。事件を起こした事は大問題であり、早急に鎮めないといけない事案ですが、一方でこれをきっかけに陸軍に有利な状況に持っていけるとも考えます。

陸軍では派閥や青年将校等、内部が混迷していますが、それぞれが自分達にとって都合のいい政治体制にする野心があるので、事が起こったのであれば、これを使わない手はないと考えるわけです。

映像では一度「ニヤリ」と口角をあげているのがその感情の表れで、またドクンとなる鼓動は野心が現実的に動き出す瞬間をイメージしています。しかしそれでもすぐに首を振って、その衝動を抑えようとしますが、一度動き出したものは止まらず、再び鼓動がなり、相反するものを抱えながらも陸なりにこれから動き出そうとします。

占拠

宮中の様子

こちらは事件を知った昭和天皇側近の人たちの様子です。宮中側では青年将校達の一連の行動に対し、早くから鎮圧する方針を固めます。

「二・二六事件」は昭和天皇ご自身が一貫して鎮圧の姿勢を貫きますが、こうした側近たちの働きもあったと考えられます。

占拠
占拠

軍事参議官会議

ここは陸相の要請で非公式の軍事参議官会議が開かれた様子を描いています。

青年将校達の一連の行動に対しどうすべきか論じられますが、ここでは彼らを説得し、皇軍が同士討ちする事の無いように、との方針がきまります。

軍事参議官会議


陸軍大臣告示

先の軍事参議官会議の結果「陸軍大臣告示」が出されます。これは色々と物議をかもす文章で、微妙に文言が違うものが数種類発表されますが、おおむね、青年将校達を撤退させる為のものであったと考えられます。

これが青年将校達の前で読まれたわけですが、文章の中には彼らの行動を認めるようなニュアンスがあったものの、表現があいまいで、これを読んだ将官も彼らを認めたとは断言しませんでした。

ただ一方で戦時警備令が発令され、この命令で青年将校達、蹶起部隊については、現状の位置を警備せよという内容が盛り込まれました。これにより蹶起部隊は正式な部隊になり、軍の方から食料や衣服など以後支給される事になります。

これは兵を飢えさせる事なく、穏便に撤退させる為の措置だったのですが、クーデター行動を起こした部隊が一転、正規軍になった事で、青年将校達は自分達が認められたと安堵し、続けて昭和維新にまい進するように訴える事になります。

陸軍大臣告示
抽象的
戦時警備令
強力な内閣

思うようにはいかない

このシーンは、皇道派の大将の苦悩を描きました。

青年将校側ははかねてより皇道派と関りがあり、この大将を推して国家改造する事を考えていました。大将自身も「こうなったら」と事を進めようとしましたが、昭和天皇の強い反発にあいます。

下からの期待と上からの拒絶という板ばさみの中苦悩しますが、もはや青年将校側の要求など通る見込みがなく、なす術がなくなっていました。



一方の陸は既に事が起きているのであるから、まだ現状を変えられる状況にあると考えます。

思うようにはいかない
事は起こった

憲兵司令部にて

陸軍省と参謀本部(以下合わせて省部)は占拠されてしまったので、省部の人達は憲兵司令部に集まり、そこに臨時陸軍省と臨時参謀本部を設置していました。

憲兵的には正直迷惑な所ではありますが、憲兵はそこで省部の人達の様子を知ります。

憲兵司令部にて

陸と憲兵

陸に忠実な憲兵としては、見聞きした情報を陸に伝えます。
その中には、極秘情報もありました。

それは蹶起部隊が殺害したと思っている首相は、実は首相の義弟であり、首相本人は生きているというものでした。憲兵隊はいち早く首相の生存も確認していたのです。

陸と憲兵

陸と大佐

大佐が陸に会いに行くシーンです。この事件は陸軍の青年将校が起こしたものなので、海軍では事件を把握出来ず、また陸軍の状況や方向性も分からなかったので、大佐は陸から話を聞こうとしたのです。

陸と大佐
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実際、事件発生後、海軍軍令部の方が陸軍参謀本部のある参謀に会いに行っています。というのも、当時二人は軍令部所属でありながら、参謀本部員を兼務し、またその逆に参謀本部員でありながら軍令部員も兼務していたからで、陸海軍の主要の連絡はここでつながっていました。

連合艦隊回航

海軍は人心安定の為、連合艦隊を東京湾及び大阪湾に集結させる事を決定しました。東京湾に第一艦隊(戦艦部隊が中心)、大阪湾に第二艦隊(重巡部隊が中心)を回航させる事になります。

第一艦隊
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海軍は26日夕刻に艦隊が東京湾、大阪湾に急航中である旨を海軍省から発表し、人心安定の効果を得たと手応えを得ます

海と大佐

ここでは海と大佐、それぞれの考えを表現しました。(海軍としての考えや動きは後で書くので、ここでは海と大佐の気持ちを書きます。)

海軍は連合艦隊を回航させると同時に、陸戦隊の派遣を決めるわけですが、これについて二人の意見は食い違います。

海としては独断で陸戦隊を早急に派遣し、何かあれば海軍の手で治めようと考えます。東京は横須賀鎮守府の警備管下であるからです。しかし、大佐としては陸軍と交渉をせず派遣する事は、トラブルの元になると待ったをかけます。大佐は、あくまでも陸軍と協調しての派遣を考えているからです。

この違いはこれまでの陸軍に対しての考え方や接し方も関係していますが、根底には陸に対しての思い方が違う所が大きいです。二人にとって昔から陸の事は「軍の象徴」とは別に「個」として非常に大切な存在です。

海の場合はそういった感情がある事がもう分かりづらくなっていますが…、そうなってしまったのは、これまで(というか昨今)の陸軍の動きに不信感を抱き、陸の態度に不満を覚えているからです。ただ陸に関しては陸軍の人々の影響でそうなっているのでないかという考えもあり、「相手はあの陸軍だぞ」という台詞も、陸を指すのではなく陸に影響を与えている陸軍という大きな組織の事を言っています。

これまで、陸が陸軍の強引なやり方や内部闘争等を容認し続けているというか、止められないのもその為だとも考えられるわけです。

ただ海はそうは考えても、すでに陸とは距離が出来始めており、険悪なムードも漂うようになっていました。性格的にもそういった溝を埋める事が出来ない海は、最終的に陸がどういう状態であろうとも、自分がなんとかすればいいという、独りよがりな感情を持つ事になります。

一方の大佐は、これまでの陸軍及び陸がどのような状態であろうとも、必要とあらばためらわず接触してきました。海軍、ひいては日本の為という部分もありますが、なによりも大佐は「個」の陸を信じ続けます。時代の変化と共に陸が変わっても、信じて辛抱強く寄り添う事が、大佐の陸に対する思い方なのです。

ただ勿論、信じるからといって何も対策をとらないという事ではなく、万が一に備えて、準備する事も怠りません。

この事件に関しても、先の陸と大佐のシーンにあるように陸から状況を聞き、海軍として出来る事を模索します。また陸としても内に色々抱えますが、会いに来た大佐に対し言える範囲での情報を与えています。

そして結局、陸戦隊については、海軍省や軍令部が陸軍に配慮する方向となったので、ここでは大佐の思惑通りに進みます。

海
大佐
余談

このシーンが本来一番やりたかった所でした。というのもこの二人が陸に対してどう思っているか表現できるからです。(rkkは陸・海・大佐を中心とした物語なのでね!)

海のこういった部分は分かりづらいですし、本来は表に出しませんが、会話の相手が大佐だったので、そういう気持ちが伺える発言をしている所があります。といってもこの発言で海の思いが分かるのは大佐位だと思いますが…。というか、むしろこういった部分を書くなと海に怒られそうですが…。

第四師団

ここでは事件が地方にも衝撃を与えたという事と、海軍が第二艦隊を大阪に派遣している事から、第四師団の様子を少し描きました。

歩兵の台詞の元は、当時の第四師団長の言葉です。
陸戦隊上陸の噂を聞いた師団長は
「もし海軍が陸戦隊を勝手に上陸させたら、大阪師団は全力を挙げて、一兵残らず海に突落とす」
と激怒して言ったとか。

先の海と大佐の所で、大佐が陸戦隊を上陸させる事に関して気を使っていますが、大阪の師団長がこのような発言をしている事から、陸地がいかに陸軍の縄張りであったか伺えます。

実際、大阪湾に向かった第二艦隊は大阪港外に投錨しており、第四師団を刺激しないような配慮があったと推測できます。


第四師団
第四師団

またここでは描写していませんが、事件の知らせは軍部だけでなく、財界、有力者等にも衝撃を与えます。
大阪の場合、財界が
「財界の総意として、陸軍に一億以上の寄附をする準備をしたから、どうか大阪だけは勘弁してくれ」
と申し入れていました。その背景には事件によって改革が行われれば、財産の没収や生命の危機にさらされるとの恐れがあった為です。

もう少し詳しく

ここでは第四師団を描きましたが、他の地方師団もそれぞれ緊張する事になります。各師団によって対処の仕方も様々ですが、中でも、師団内の連隊に革新派将校を抱える所はその処遇に苦労したようです。

戒厳令

事件解決の為、戒厳令が発令されます。

戒厳令とは治安維持や反乱鎮圧の為に統治権を軍隊にゆだねるというものです。(戒厳令には二種類あり、本事件の場合は帝国憲法第八条に基づく「行政戒厳」)

陸が向っているのは九段の軍人会館で、戒厳令の発令と共に、ここが戒厳司令部となりました。

「悪用するな」という忠告は、戒厳令により軍隊の力が非常に強くなる為、軍部がこれを自分達の都合のいいように利用するのではという懸念があった為です。

実際、一般的に軍部のクーデターでは、戒厳令を発令し、軍事内閣を樹立するというのが大方のルートのようで、これより前の「五・一五事件」でもその企みがあり、また本事件でも青年将校側は戒厳令発令を希望していました。

その為、占拠部隊の鎮圧を目的とする戒厳令発令でしたが、青年将校側は自分達の行動が成功したと錯覚をする事になります。

またその錯覚を助長するかのように、戒厳司令部より「戒作令第1号」が下令された折、再び占拠部隊は戒厳令下での治安維持任務が与えられるのでした。

戒厳令
戒厳令
戒厳令
もう少し詳しく

戒厳令については他行政組織、特に警察は軍隊の指揮下に入ってしまう為強く反対しました。また戒厳令では国民の権利や財産を自由にできました。

地方連隊と戦車隊

第一師団は26日の早い段階で佐倉・甲府両歩兵連隊、及び習志野の戦車隊を招致していました。

それらが続々と到着しはじめます。

中でも圧倒的戦力として戦車隊を中心とした鎮圧を考えていました。

佐倉連隊
甲府連隊
戦車隊
もう少し詳しく

上記のほかにも第一師管内の諸学校部隊(歩兵学校・騎兵学校・習志野学校・自動車学校等1350)、第14師団主力(歩兵5大隊。騎兵1中隊、工兵大隊約3200)、第2師団の一部(歩兵4大隊約2000)らが戒厳司令官の指揮に入り28日の夜から29日の明け方までに東京に到着します。

政治的非常事変勃発に処する対策要綱

『政治的非常事変勃発に処する対策要綱』は「二・二六事件」の2年前、統制派の幕僚によってまとめられたものです。これには、今回のようなクーデター的行動が起きる事を予見し、事が起きた際にはこれを契機に、鎮圧の過程で軍部統制派が主導する政治体制の確立を目指す内容が記されていました。つまりは統制派による国家改造計画案であり、カウンタークーデター構想でもあったと言えます。

国家改造を目指す事は統制派も青年将校も同じでしたが、こちらの場合はより緻密な計画性と戦略がありました。

政治的非常事変勃発に処する対策要綱

首相救出

「二・二六事件」における憲兵最大の見せ場といえば、首相の救出になるかと思いますが、ここではその様子を描きました。

救出作戦は、首相を弔問客にまぎれこませ、首相官邸から脱出させるというものでしたが、憲兵隊及び首相秘書官の尽力により無事に救出されました。

首相救出


包囲網

ここでは帝都に展開される鎮圧軍及び、第一艦隊の長門の様子を描きました。

戦車隊は国会議事堂前に展開している姿で、実際に映像のようなアングルで撮られた写真があったのでそれを再現しています。

砲兵隊は日比谷公園に展開する事になるのですが、これは陸軍の非常手段の表れ、覚悟を表しています。

とういうのも事件当初、鎮圧側の方針で砲兵隊を使う案がありましたが、大砲の使用は住民に被害を与え、帝都を破壊する事、そして何より占拠部隊が皇居を背にしているので一つ間違えば皇居に砲撃する恐れがあるので、砲兵を使った武力鎮圧は断念していました。

しかし事態がなかなか動かないので、事件発生より三日目、陸軍は威嚇射撃を決意し砲列を布く事になったのです。

実際、万が一の流弾の為、陸軍は皇族避難の手配もしています。(海軍側の皇族には海軍から手配するようにお願い)

戦艦の砲口のシーンは、映像は長門ですが、東京台場沖に集結した第一艦隊は砲口を永田町一帯に向け、威嚇行動をとります。

包囲網
包囲網
包囲網

八方塞の青年将校達

これまでの経緯で一時は成功したかのように感じた青年将校達でしたが、結局は自分達を撤退させる為のものであり、頼みの皇道派将官も期待できず、青年将校達は八方塞となります。

ただ、彼らの行動に対して同情的な見方もあり、その気持ちだけでも認めて欲しいと願いますが、側近を殺害された昭和天皇の怒りは強く、到底認められるものではありませんでした。

八方塞の青年将校達

奉勅命令

これまでの説得ではなく、天皇の命令によって占拠部隊を原隊に帰すという奉勅命令が出されます。

この命令に反する事は完全に逆賊となるわけですが、青年将校らにとっては占拠している事が交渉する為の力であり、何も進展していない情況で撤退する事は、敗北を意味します。

皇軍相撃を避けたい陸も青年将校達の気持ちを汲みつつ説得に向かいますが、情況は芳しくありませんでした。

こうして引くに引けない占拠部隊と鎮圧部隊との間で皇軍相撃が現実味を帯びてきました。

しかしそこに憲兵からある情報が入ります。それは占領部隊の兵士数名を捕虜にして尋問したところ、兵達はなにも知らず、ただ上官に従って行動していたということでした。これによりこれまでは青年将校に対し説得工作を続けていたものを今度は下士官兵に向けてメッセージを出し、原隊に帰るように説得する事になります。

奉勅命令
奉勅命令
奉勅命令
奉勅命令

攻撃前

ここでは攻撃前の三人を表現してみました。

実際戦闘を想定して、軍としては住民を避難させます。それが完了すれば戦闘になるわけですが、同じ皇軍同士、心は非常に複雑です。事実鎮圧部隊の中にも同情する人は多かったようです。

砲兵の場合は先にも書いたように宮城方向に向けての発砲なので苦しい思いがあります。

また、戦車兵が言うように占拠部隊を有する連隊にはその家族が押しかけるという事態も発生していました。

家族としては上官に従っているだけの肉親が、逆賊にされた上に、武力で鎮圧されるという事態は到底許せる事ではないからです。

更に占拠部隊の兵を多くだしている地域でも大騒ぎになり、市民の暴動を招きかねず、陸軍は国民を相手に戦う事態も懸念されました。

陸としても皇軍相撃、そして軍民が争う事態はどうしても避けたいので、戦車兵に対し下士官兵への説得工作を指示します。

攻撃前
砲兵
戦車
陸

下士官兵に告ぐ

夜を徹して作られた勧告文のビラを戦車と飛行機を使い、下士官兵に向けて撒かれる事になりました。

またビラだけではなく、日比谷の飛行会館からもアドバルーンを揚げました。

それでも効果の程は不鮮明であったので、動画では描写していませんが、最後にラジオを使って帰順を呼びかけます。

下士官兵に告ぐ
戦車からのビラ
アドバルーン
飛行からのビラ

山王ホテル

一連の説得工作や情勢の変化を見て青年将校側も揺れ動きます。すでに奉勅命令が発令される頃には警備隊の任も解かれ、反乱軍となっており、師団からの食料も届かなくなっていました。

また鎮圧軍の戦力は2万3千を超え、占拠部隊との戦力差は歴然としていました。

青年将校内では色々と意見が分かれる事になり、最終的には一つの部隊を残し、帰順、撤退する事になります。

ここのシーンは残った最後の部隊、歩兵第三連隊第六中隊とそれを率いる中隊長を描きました。

この中隊は非常に団結力が強く、中隊長の強い意志のもと、徹底抗戦を貫いていました。完全に形成不利な情況ですが、皆この中隊長と死ぬ覚悟でいるのです。

こうした中、第一線に立ち対峙する戦車兵はこの中隊長と同じ大尉という階級であり、同じく下士官兵を率いる身なので、悲痛な思いで呼びかけます。

山王ホテル
戦車兵の叫び

一つの『真実』

戦車兵の呼びかけに応え、中隊長から発せられた一連の言葉は、今回の作品の中で一番伝えたかったものです。(実際にこれらの言葉は説得にきた将校に対し発せられたとされています。)

これは最終局面にあってこの中隊長が得た一つの『真実』でありました。

真相

終結

徹底抗戦を貫いていた歩三第六中隊も中隊長の自決(未遂)により、帰順する事になりました。

こうして29日、皇軍同士が戦う事なく鎮定にいたります。

映像は、山王ホテルに集まっていた青年将校のもとに行く陸と衛生です。実はこれは鎮定後ではなく、多くの青年将校が帰順する前のものです。

なぜ映像を前に振り返ったかというと、青年将校が後に帰順していくきっかけを表現する為です。

終結

維新のメドはついた

まず、この映像では一度衛生にクローズアップしていますが、これは言葉の中にある「自決」の意味合いを強くするものです。なぜなら自決の際には衛生兵が控え、自決後の遺体の処理をする為です。従って、ここに衛生を同行させたのは暗に自決しか道はないという陸の意思が入っています。

そしてラストの「維新のメドはついた」という言葉が、青年将校達の心を帰順へと向かわせます。彼らはもとより維新の捨石になる覚悟がありました。この言葉通り、維新が進むのであれば、一定の成果を見た事になります。

すでにこの時は圧倒的な兵力差で包囲されており、また下士官兵への呼びかけも行われた後である為、兵の一部が逃亡したりと情況は悪化していました。また残っている兵達についても逆賊とされ、みすみす撃たれるのを心苦しく思っていたので、この言葉は帰順を決断するきっかけになったのです。



ただ一方で、陸は参謀飾緒をつけています。

ここの解釈は、良く見れば青年将校の希望が陸の中で生き、幕僚側にあってもそれが存続していくというニュアンスにとれますし、悪く見れば全ては『政治的非常事変勃発に処する対策要綱』に沿って描かれた幕僚側の陰謀だったともとれます。

このシーンはいずれにも受取れますし、いずれの要素もあると思いますが、更に陸自身を考えると、最終的に陸軍に利するものであり、それが陸の信じる国家の為であれば、青年将校運動だろうが、幕僚の陰謀だろうが利用するというのが陸の気持ちではなかろうかと思います。

維新のメド
維新のメド2
もう少し詳しく

このメド発言は、鎮圧の舵取りをした参謀が実際に言ったとされる言葉です。はじめは皇道派の将官を頼りにしていた青年将校側でしたが、最終局面ではこの参謀の言葉を一部信用した感がありましたので、それも参考にした次第です。



これで動画の説明は終わりますが、以下少し補足をしたいと思います



「二・二六事件」と海軍

この事件はあまり海軍の出番はありませんが、rkkでは海と大佐が準主人公なので、もうちょっと海軍について書いてみたいと思います。というのも、結構「二・二六事件」における海軍は偏った情報が多いと感じていて。私としては違う側面もあわせて、結果的にこう思っているというのを書き、その上で海や大佐を見て貰えるとありがたいと思いました。



襲撃に関して


この事件は結果として海軍出身者の重臣が多く狙われました。これについて陸海軍の確執が…という論調がまれにあるようですが、これは全く違いまして…、実際は海軍だから狙われたのではなく、その要職に海軍出身者がたまたま就いていただけでした。勿論これに対し海軍内では、感情的に反発する雰囲気もありましたが、その一方でその点をきちんと理解し、冷静な人もいました。



軍令部総長の上奏


事件発生直後、早い段階で皇道派大将が盟友である艦隊派大将と共に軍令部総長を訪れ、共に宮中に参内し、維新に向けた上奏をしていたという事実があります(天皇に一蹴されてしまいますが)。海軍の一部でも天皇の強い拒否がなければ、維新もまんざらではなかったのではと感じました。こういった側面から見られる、裏での繋がりは非常に興味深いものがあります。



軍令部の方針


この事件での海軍は「天皇を艦に遷す」「長門の主砲を撃つ」のような強気な作戦を目にする事がありますが、これは海軍の正式な方針じゃありません。もしこのような案が海軍内で出たとしてもあくまで海軍内の一軍人の発想であり、現実的なものではありません。


では実際に海軍ではどのような計画だったかというと、軍令部の骨子案には以下のようにあります。

●帝都に在って天下に号令する天皇の地位を守護する
●宮城防衛に徹する
●海軍からは絶対に手を出さず、攻撃された場合は反撃する
●陸戦隊は増援軍として、戒厳指揮官の指揮下に入れる
●反乱軍の情況によっては陸戦隊が独自の行動をする

など。軍令部は海軍側の事件処理を担当しているので、実際に動くとなればこういったものになったかと思います。

ただその一方で、軍令部としては青年将校側がまさか宮城までを害する事はないだろうという予測もあったようです。更に海軍の増援部隊については正式に申し出ると角が立つという事で、一部参謀本部の参謀に口頭で伝えたにすぎませんでした。



海軍省の方針


海軍省では陸戦隊を海軍省の警備につけますが、この陸戦隊は襲撃を受ける場合には応戦するが、鎮圧行動には加わらず、事態の収拾は陸軍に一任し、陸海軍が相撃つ自体は避けるという方針でした。

この陸戦隊の輸送については、移動の途中に陸軍部隊と撃ち合うような事態になっては困る為、人員は普通姿で芝浦まで海上輸送し、武器はトラックで別送するという配慮をしています。(警備については憲兵と照会)

また首相救出についてもはじめは憲兵ではなく陸戦隊で救出を、と首相秘書官は海軍大臣に頼みますが、大臣は陸軍に気をつかって聞かなかった事にしていました。


最終的に


事件は陸軍の説得工作が成功した事で、海軍としては連合艦隊を東京湾、大阪湾に派遣し、一部の陸戦隊を海軍省及び関連施設の警備に着かせた事のみで終わりました。

今回調べるにあたり、実際の海軍の作戦は堅実で、海軍省や軍令部は陸軍にとても気を使っていたと感じました。こういった配慮は、弱腰や事なかれ主義という人もいたでしょうが、そもそも事件処理は陸軍がする事であり、実際に陸軍部隊も多数動いている事から、一連の行動は私はよかったと思いました。(一方の陸軍でも蹶起部隊を戒厳部隊に編入した際、宿営地を海軍省に近づかせない配慮をしていたりする)

中でも事件の対応に当たった当事者の軍令部の方がこの事件の性格をきちんと把握し、冷静に粘り強く動いていた事が印象的でした。(この方をちょっと大佐に被らせている所があります☆)

海軍中央のこうした混乱を大きくしない努力ももっと広まってもいいのかなと思った次第です。


「二・二六事件」と憲兵

ここでは憲兵について少し書きたいと思います。というのも、「二・二六事件」のようなテロ行動を未然に防ぎ、取り締まるのも憲兵の職務の一つであるからです。



憲兵とテロ


憲兵は本来は公正でなくてはならない立場でありますが、昭和7年頃からの皇道派全盛期には憲兵指令官までもが皇道派で固められており、その体制下の中で「血盟団事件」「五・一五事件」「神兵隊事件」など各団体によるテロ行為が相次ぎます。


折りしも同じ頃、共産党が衰退し、憲兵の監視は左翼から革新派青年将校及び急進的な国家運動を目的とする右翼に転換するようになりましたが、結果的に憲兵の監視が不十分であった思われます。というのも、当時の憲兵指令官と右翼との間には癒着のようなものがあり、革新派青年将校達に対しても、皇道派は利用していた節があるからです。詳しくは割愛しますが、憲兵は一時的でも派閥の影響で職務が徹底できていなかったと考えざるをえません。



憲兵と「二・二六事件」


この事件が発生する頃は軍部内での派閥勢力図が変わっていましたが、相次ぐ事件の発生で対立は深まり、また革新派青年将校達の動きも活発化、陸軍内は不穏な情況であったと思います。

そんなさなか「二・二六事件」が勃発するわけですが、憲兵はまずその発生を未然に防ぐ事ができず、また発生後、時間差のあった教育総監の襲撃も阻止する事ができませんでした。


未然に防げなかった真相は分かりませんが、すでにこの日が危ないというリークや、東京憲兵隊内部でも22日から歩一、歩三を徹底的にマークすべきという意見があったのにも関わらず、この辺をうやむやにしているという事実があります。東京憲兵隊幹部も少し前までは皇道派色が強かったようなので、そのあたりも何か関係しているのでは?と勝手に推測してみたりもできますが…。


そして事件発生時、対応が後手にまわってしまったのは、憲兵司令部が混沌の極みであったという事が挙げられます。陸軍省、参謀本部を占拠されてしまった省部の人達が憲兵司令部に押しかけた事により、憲兵の職務が阻害され、なおかつ憲兵指令官は病気で不在、更には指令官代理と東京憲兵隊長には確執がある…など、憲兵隊中央部が全うに機能していたとはいいがたい情況です。第一線の憲兵は真面目に働いてはいるのですが、軍事警察としては失態が続いていたと言わざるをえません。


ただそんな中でも、映像に出したように首相救出は面目躍如たる働きでした。そして事件終結にあたって一連の逮捕や事件の解明等、憲兵はその後も忙しく働く事になります。


映像ではわりと淡々とした?憲兵ですが、組織の憲兵はこういった背景があったというのをちょっと知っていただきたいなと思い書きました。そしてキャラの憲兵は本来の憲兵としての職務を理解し非常に真面目ではありますが、その上に陸がいるので、内容はどうであれやはりその意には沿う様に動くというというダーク?な一面もあるのかなと思う次第です。


さいごに

この事件の大きな結果として軍部大臣現役制度が復活します。これは、陸海軍の大臣は現役の軍人じゃないとなれないというものですが、これにより、軍部の意向が大臣に反映され、本来は政治に関わるべきではない軍部が、政治力を持つ事になります。こうした情況はその後の戦争を左右し、国民生活にも多大な影響を与えていくのは周知の通りです。(勿論戦争は一国でできるものではないですし、世界の流れもありますが)


そしてこの軍部大臣現役制度を復活させた裏には、この機に引退させる皇道派将官を大臣にさせない、という派閥争いの影響が見えます。こうした軍隊内での権力争いに、私自身やるせない思いが募り、中隊長が発した一連の言葉を動画内でとりあげ、訴えたいという思いを強くしました。


そしてやるせない気持ちは、青年将校達に対しても感じました。従来より青年将校達は国家主義の運動家の影響を受けて…、とか皇道派だとか言われる事がありますが、一部にその影響はあるものの、基本は国家を案じる真面目で純粋な若者達であったと思いました。(一方その若さゆえ、判断をあやまった事も事実だと思いますが…。)


動画では描きませんでしたが、その後青年将校達は裁判において弁護士もつけられず、公開もされず、しかも一審で裁かれ、銃殺刑に処せられました。勿論犯した事は重大ですが、過去の事件から比べれば圧倒的に刑が重く、またその裁判のやりかたは乱暴でした。しかし残念ながらこうした下の人間だけが重い処罰を受け、責任を負わされ、その一方で上の人達はうやむやにしてしまうという情況は最後まで続いていくのです。


正直「二・二六事件」に関して私自身まだまだ知らない事や伝えられない事がたくさんありますが、この動画を機に事件について何か一つでも考えるきっかけとなれたら幸いです。